UnrDF9up


41歳男性、既婚。舞台俳優、テーマパークアクターです。

1980年代前半、小学校1年から中学2年生まで、私は学校に行ったり行かなかったりしてました。

最初に行かなくなった理由は覚えてません。担任の先生は好きでしたし、友達もいました。苦手な子はいたけど、いじめられてはいなかった。

「ただ、合わなかったから」じゃないかなあ。そのぐらいだったら行けよと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、私は合わない場所に6年間も9年間も通い続けることは地獄だと思います。大人になった今でも思います。

義務教育という同調圧力の中で行かないという選択ができた自分は偉いと思います。ちなみに「義務教育」という言葉の意味は、子供が学校に行く義務ではありません。そう思っていた方は是非、辞書で調べてみてください。

覚えているのは、よく同じ夢を見たことです。私は教室にいて、授業を受けています。突然自分は服を着ておらずパンツ一丁だと気がつきます。

クラス中の視線が突き刺さります。「まただ…。」無限に続くかのような苦痛の時間。そして目が覚める。学校での私の気持ちはそんな感じだったのでしょう。

私が学校に行かなくなってすぐ、母親が不登校(当時は登校拒否と呼ばれてました)について勉強してくれました。そして私に「学校休んでるからって悪いことしてるわけじゃない」と断言してくれたのは、私の人生にとってどれだけ大きなことだったか計り知れません。

今よりも不登校が珍しい当時、そんなことを言える親御さんがどれだけいたでしょう。

おかげで私は家に引きこもることはありませんでした。まず朝の登校時間に友達を校門まで送って行き、引き返してからご飯を食べて、良く一人で外にも遊びに行きました。サイクリング、おもちゃ屋巡り、古本屋巡り、などが定番コースです。

勉強に関しては、母は私に九九だけは厳しく覚えさせました。そのおかげか久しぶりに学校に行っても比較的、算数の授業はついていけました。

あとはNHK教育の番組を見ることと、学研の「学習」と「科学」(という雑誌が昔ありました)を読むのは楽しみでしたね。

それ以外では、当時はまさにファミコン全盛期。学校を休んでいる間、私はテレビゲームからたくさんのことを学びました。

感動的な物語に触れたり、頭を使ってパズルを解いたり、反射神経を磨いたり、歴史を学んだり、スポーツのルールを知り、有名選手の名前を覚えました。

攻略本を読むことで自習のやり方も身につきましたよ。RPGの影響でファンタジー物、三国志のゲームの影響で歴史物の本を読むのも好きになりました。

学校休んでた状態から、また登校する初日は本当に勇気のいる、しんどい日です。でも登校、不登校を繰り返した私は、そのしんどい日を何回も体験しました。

学校に通えている時期は、苦手な授業の時は家に帰ってきて、終わった頃に次の授業を受けに戻ったりもしました。

好きな授業だけでも登校できるなら、その方が休むよりいいと自分でも思ってたんですかね。いや、「それを許さないならまた休むぞ!」と教師を脅してたのでしょうか。親も先生方を説得してくれたのでしょう。

5年生の時は一回も授業に出席していないのですが、唯一参加したのは遠足の日でした。気まずくなかったのかなあ、と今の私も思います。

当時、不登校への罪悪感を持たずに過ごせたのは両親のおかげです。

もちろん外に出ることが怖くなった時もありましたが、そんな時、父は私を外食に連れて行ってくれるようになりました。

週に一度、2人でご飯を食べに行く。カウンターで揚げたての天ぷらを食べたのも、この時が初めてでした。なんだか一人前になった気がしました。今考えても素晴らしい社会勉強だったと思います。

私には4つ上の兄がいます。兄は勉強が得意で進学校の高校に通っていました。ちょっとおっかないけど私の憧れでもありました。

私も、進学校とは行かずとも、いい高校に入ろうと決めました。そして受験のために中3の2学期から完全に学校に戻ります。すぐ引退なのになぜか陸上部にも入りました。

高校受験では勉強に対して猛烈なやる気が出てましたね。下校後に毎日5時間の勉強、中1の範囲から5教科を各1時間ずつ復習して、結局兄の高校受験の時よりちょっと少ないくらいの点を取りました。

高校は志望校に受かりました。おさらいは中1の範囲からだったので、小学生で学習する内容は知らないまま。

でも大学受験は失敗しまして、一年間、受験浪人をすることになります。その時将来について考えたんです。

もし大学受かったとしてその後、せっかく不登校を体験した私が会社員になってどうする、と。そして映画「Shall We Dance?」を見た帰り道、自転車に乗りながら突然「あ、役者になろう」と思いつきました。

結局大学受験は第1志望には受からず、違う大学へ。理学部で陸上部、と演技に関係ないことを続けました。卒業したらずっと演技するわけですから、それまでは違うことをやろうかと。

卒業後、ある俳優養成所に入りました。そこでは、いろんな年齢の人が一緒に演技を習っていて、まさに勉強なんていつ始めてもいいんだなあ、と実感できました。

また、当時勤めていたアルバイト先では、出勤初日で来なくなる人達もいっぱいいて、子供が不登校するよりあっさり受け入れられているんです。不思議ですよね。その人達が不登校の子のように、あと何年も通い続けろと言われたらどう思うのでしょう。

少しずつテーマパークの仕事もするようになって、いろんな人と出会いました。皆さんの苦労を聞いて、だんだん自分が体験してきた辛さなんて普通じゃんと思えるようになっていったんです。

ところで、大人になって急に学校的な勉強をしたくなることもあるんですよね。私は38歳から英語の学習を始めました。

まずは中学1年生の教科書から始めて、2年足らずでニューヨークに留学をするまでになりました。ブロードウェイの舞台を22本観てきましたよ。ある役者さんは、あまりの気持ち悪さに2,000人の観客から悲鳴をあげられ、同時に爆笑をかっさらっていました。それを見て、こうなりたい!と思いました。

語学学校にも通いましたが、日本の学校と全然違います。子供の頃の私のように、苦手な授業の前に教室を去る生徒もいっぱいいました。

今の私は舞台に立ったり、テーマパークのショーに出演して毎日のようにお客さんの笑顔や笑い声に癒されてます。素晴らしい女性に出会って結婚もできちゃいました。

皆さんの中にも俳優養成所だったり、海外の学校がピッタリハマる人達もいるかもしれませんね。

不登校の皆さんは辛い時間を無限に感じてると思います。将来への不安で押しつぶされそうになってるかもしれません。

だからこそ、おうちが少しでも居心地のいい場所であればいいな、と思います。好きなことがあれば何でもしてください。

好きなことを夢中でできたらそれが1番の勉強です。漫画だってゲームだっていいんです。

日本の教育に収まらない皆さんの資質はワールドワイド!外には広い世界があって、皆さんにピッタリの新しい場所がきっとありますよー!!

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不登校の体験談を引き続き募集しています。(当事者や保護者など)詳細はこちらの記事を。

関連記事→学校に行きたくない不登校の子どもに読んでほしい記事まとめ。

8月19日に不登校の当事者に向けたイベントを全国100ヶ所で同日開催しようとしています。
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小幡和輝 Kazuki Obata (@nagomiobata)
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NagomiShareFund & 地方創生会議 Founder/内閣府地域活性化伝道師

1994年、和歌山県生まれ。約10年間の不登校を経験。当時は1日のほとんどをゲームに費やし、トータルのプレイ時間は30000時間を超える。その後、定時制高校に入学。地域のために活動する同世代、社会人に影響を受け、高校3年で起業。様々なプロジェクトを立ち上げる。

2017年、47都道府県すべてから参加者を集めて、世界遺産の高野山で開催した「地方創生会議」がTwitterのトレンド1位を獲得。その後、クラウドファンディングと連携した1億円規模の地方創生ファンド「NagomiShareFund」を設立し、地方創生の新しい仕組みを構築中。GlobalShapers(ダボス会議が認定する世界の若手リーダー)に選出。
「高画質」 小幡和輝プロフィール 横長

メディア出演 NHK・フジテレビ・日本経済新聞・The Japan Times など