ギモンに切り込む

【不登校体験談】中学生。虐めからうつ病になり、夜の街を徘徊する

私は幼い頃から気弱で、反抗が出来ない子だった。その為、頻繁に虐めにあい、中学生になる頃には精神的にすり減り不安定になっていた。

幼い頃は助けてくれていた親も、何度も虐められるので「お前もやり返せ!」と怒るようになりこの頃には親に相談しなくなっていた。不登校という選択肢は親が許さず、泣く私を無理やり家から出す毎日だった。

本格的に私がおかしくなったのは14歳の夏だ。

「クソ!」
怒声ともに勢いよく私の机が蹴飛ばされた。
当時、私は学校のヤンキーのストレス発散道具だった。

当たり散らす理由は私じゃ無い、でも当たれる先が欲しいから気弱な私を選ぶ。
周りも分かっていたが、口に出すと矛先が自分に向くので言えなかった。

私はもう、限界だった。
担任に事情を話すと、その子に注意してくれた。しかし、事態は悪化した。

その子はそのことで逆ギレし、その日からヤンキー集団を中心に虐めが始まった。

暴力はしないものの、怒声を浴びせたり、同じグループの子達が離れるように仕向けた為、私は学校で孤立した。

ーー私は、もう居場所が無い

何もなくても泣くようになった。
家にいても学校にいても塾にいても、彼らの姿を頻繁に視えるようになり、「死ね」と言われる。
夜中に外から彼らの声が聞こえるので呼び出されるまま、夜の街を何時間も泣きながら徘徊するようになった。
そう、幻聴と幻覚が出始めていた。 

幻聴と幻覚が酷くなり、学校で妄言を繰り返した為、「メンヘラ」「キチガイ」と言われるようになり、虐めが激化し、歩いていたら靴を投げつけられたり、トイレで水を被せられたりするようになった。
もう病気で泣いてるのか虐められて泣いてるのか、本人でさえわからない位に涙が止まらい日々が続いた。

兄姉は何かおかしい、と感じ、母に病院に連れて行くように話した。
しかし、母は「私の子が心の病になる筈がない」として、連れて行かなかった。

結局、私が病院を受診したのは高校受験前日だった。
受験勉強もまともにしないまま毎日泣き喚く私に限界を覚えた姉が母に本気で怒ったのだ。
「はよ、病院行かせてよ!」

受診後、下った診断は『統合失調症』

母は呆然としていた。

その後、治療を開始。
高校は3年間で260日欠席した。学校に来れたと思ったら保健室で泣き通す日々で、不登校状態だった。
22歳で症状が落ち着いた。その頃には社会人になっていた。

大人になると住む場所も職業も選べた。地元と全く違う、知らない人ばかりの街に住むと心が楽になった。自分の過去を誰も知らないのはこんなに幸せなのかと知った。
仕事はしんどいけど、あの頃に比べたらなんてこと無いと思う。

むしろ、14歳で人生のどん底を味わえたのでこれからはタフに生きれそうだと思っている。そう思えるくらいに今、私は恋人も出来て幸せに生きている。

以上が、私の「不登校エピソード」です。
私の経験が誰かの光になれば、それ以上幸せなことは無いです。

今までは非常に苦い記憶だったのですが、小幡さんの場の提供のおかげで、私自身も少し楽になれた気がします。
ありがとうございました。

P.N.ポム

小幡和輝 Kazuki Obata (@nagomiobata)
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小幡和輝へのお仕事依頼について

NagomiShareFund & 地方創生会議 Founder/内閣府地域活性化伝道師・#不登校は不幸じゃない 発起人

1994年、和歌山県生まれ。約10年間の不登校を経験。当時は1日のほとんどをゲームに費やし、トータルのプレイ時間は30000時間を超える。その後、定時制高校に入学。地域のために活動する同世代、社会人に影響を受け、高校3年で起業。様々なプロジェクトを立ち上げる。

2017年、47都道府県すべてから参加者を集めて、世界遺産の高野山で開催した「地方創生会議」がTwitterのトレンド1位を獲得。その後、クラウドファンディングと連携した1億円規模の地方創生ファンド「NagomiShareFund」を設立し、地方創生の新しい仕組みを構築中。

2018年、不登校を肯定するムーブメント「#不登校は不幸じゃない」を立ち上げ、8月19日に全国100ヶ所でイベントを同日開催。SNSで#の関連投稿は2万件を超え、多くのメディアにも取り上げられた。GlobalShapers(ダボス会議が認定する世界の若手リーダー)に選出

「高画質」 小幡和輝プロフィール 横長

メディア出演 NHK・フジテレビ・日本経済新聞・The Japan Times など

 

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