小幡和輝オフィシャルブログ

約10年の不登校を経験後、高校3年で起業。 もっと詳しい自己紹介は下の記事を! 社会のギモンに切り込んでいきます。

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僕は小学校から10年間、不登校でした。だけどさまざまな出会いやきっかけがあり、高校生3年生の時に起業しました。僕の経験が同じように不登校で悩んでいる子の役に立ててばと思い、今までも僕の実体験をもとに発信てきました。だけど不登校にはいろんなタイプがあるので、僕の体験がすべてに当てはまるとは思っていません。ということで、不登校の経験がある方々との対談企画を全8回に渡ってお届けします。
たくさんの事例の中で共通することはなにか。また不登校の経験がいまどのように活きているのかを聞いてきました。

第4回のゲストは、吉藤オリィ(吉藤 健太朗)さんです。

※この対談は、書籍「不登校から高校生社長へ」に収録したものを、一部加筆・修正したものです。

吉藤オリィ(吉藤 健太朗)

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1987年奈良県葛城市出身。小学5年~中学3年まで不登校。高校の3年間、ものづくりの巨匠、久保田憲司師匠に師事し、行った電動車椅子の新機構の発明により、国内最大の科学コンテストJSECにて文部科学大臣賞、世界最大の科学コンテストIntel International Science and Engineering FairにてGrand Award 3rd を受賞、その後寄せられた相談と自身の療養経験から、孤独の解消を志す。

高専にて人工知能を研究した後、早稲田大学にて2009年から孤独解消を目的とした分身ロボットの研究開発を独自のアプローチで取り組み、自分の研究室を立ち上げ、2012年株式会社オリィ研究所を設立、代表取締役所長。青年版国民栄誉賞「人間力大賞」、スタンフォード大学E-bootCamp日本代表、ほか AERA「日本を突破する100人」、フォーブス誌が選ぶアジアを代表する青年30人「30 Under 30 2016 ASIA」など。

小幡和輝:オリィさんは不登校になった期間ってどれくらいですか?

オリィ:3年半くらいですね。私の場合はずっと行かなかったわけではなくて、全く行かなかったら一切行けないなるという危機感があったので、1~2週間に1回くらいは学校に顔を出していました。小学校5年生くらいから中学校2年生くらいのときですかね。

小幡:その時には行かなかったらやばいなという自我があったりしましたか?

オリィ:そうですね。自分の中でそういう気持ちもあったし、あとプレッシャーだったのが実はうちの父親が中学校の先生だったんですよ。しかも同じ中学校の先生だったんです。

同じ学校にいるんですよ、私の父親の吉藤先生が(笑)そこでは当然、吉藤先生と言わなきゃいけないところもあって。

父親も先生という立場があるから、自分の息子が保健室に登校となると、「教室に戻りなさい」と呼ばなきゃいけないということもあり、非常に特殊なケースだったかもしれない。

小幡:実はうちの父親も教師なんですよ。学校は違うんですが中学の先生で、僕は小学校1~2年の頃からあまり行ってないんですが。

オリィ:早いねー。

小幡:僕はめっちゃ早いんですよ。行かないと親に申し訳ないというか、どちらかというとそういう思いがあって。

父親とは学校は違うんですが、すごく田舎なので、僕が学校に行っていないということは大体周りにわかってしまうので。

ある種、親の仕事を否定するというか、親の顔が立たないというか…。

オリィ:世間体みたいなのね。

小幡:なんかすごくそういうのを感じて。でも行きたくて行っていたわけではないから辛いんですよね。

周りの環境というか親に申し訳ないというか、行かなかった時のデメリットが強くて頑張って行っていたみたいな感じなんですけど。

学校以外の時間が楽しくて、実はいとこも不登校なんですけど、学校が終わってからいとことずっと遊んでいたんですよ。その時間が楽しくて。

学校が辛くて学校以外に楽しい時間があって、なんでいとこと一緒に過ごす時間を長くしては駄目なんだって。

オリィ:そうだよね。学校に行ってないでお友達と放課後遊んでいたりすると、余計世間的な目も厳しくなったりするから。

小幡:学校に行かないと、放課後友達と遊んでは駄目なんじゃないかとか。

オリィ:そうそう。そういうのありましたよね。うちも結構田舎だったので、コミュニティーが狭くて。「吉藤さんのとこの子また学校に行ってないわ」とか。

自転車通学だったので、自転車が置いてあるのが玄関から見えるんですよね。

そうすると、また行ってないなとか。

当事者である私は言われてないけど、親は近所の人から色々言われたりとかがやっぱりあったみたいで。

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小幡:どんな感じでした?親の反応とか。

オリィ:初めの頃は学校の先生ということもあり、あの手この手で学校に連れて行こうとしました。

熱心な先生ということもあり、コタツの中にいるパジャマのままの私を無理やり引っ張り出して車に積んで運ぶとかね(笑)

今だとちょっとまずいだろうというような対応をよくされたりしてました。

その頃は、不登校という言葉もあまり言われてなかったし、いじめもあまり表面化してなかった時代なので。マニュアルも当然ないわけで仕方ないんですが、先生もアドリブで対応をしていましたね。

小幡:毎朝、親と喧嘩ですか?

オリィ:えっとね、私もストレスで体がしんどくなってしまっているから、お腹痛いって言うんだけどそれは傍から見ると仮病だと思われたり。

昼くらいになるとお腹が痛いのがマシになって、元気になるんだけど、元気になると何するかというと遊びに行くよねと。

そうするとまた(笑)

小幡:仮病かと(笑)

オリィ:SOS的なサインというか辛さをわかってくれないというのがあったなと思っていて。

親に行きたくないと言うんだけど、そんな大したことないと思われてるというか。何かあるじゃない、ずる休みとか仕事行きたくないなとか、ちょっとやだなというか
そのレベル感に思われてしまう。

小幡:とてもわかります。学校が楽しかった時期ってありましたか?

私、みんなと集団行動なんかが出来ないタイプなんですよね。

大学に入るまでそうだったんですが、みんなと一緒に教卓の先生に向かって、まっすぐ座り授業を受けるというのが出来ない。
でも、私の場合は逃げ出すという選択肢があったんですよね。

小学校に入学した時に、あまり記憶にはないんだけど、基本的にこれは無理だなと判断したのか、授業が始まった瞬間にばっと逃げ出したんです。

走り回って逃げて、先生が追いかけてきて、毎日追いかけっこが当たり前になっていたので、先生も半分諦めていた。

授業中、副担任が逃げないように私の手を握りに来るんですよ。それを私はあの手この手を駆使してすきを見て逃げる(笑)

いかに学校を逃げ出すか、先生と喧嘩するかを結構楽しんでいました。それが楽しかったかな。

小幡:それは最初の頃ですか?

オリィ:そうですね。未だに小学校の全学年の先生から覚えられてるらしく、こないだ地元に帰ったら歴代の担任が集まって食事会を開いてくれました(笑)
そういう意味では良い意味で緩かったのかもしれないな。

逃げるという選択肢が私の中であったので、小学校5年生くらいまでは耐えれた。

小幡:なんで耐えれなくなったんですか?

オリィ:耐えれなくなったというより、元々体が強くなくて、検査入院で1週間位、学校に行けなくなったんだよね。

その間にお楽しみ会とかがあって、一生懸命企画をしていたのにそれに行けなくなったショックとか、1週間も学校に行っていないと行きづらくなっちゃってね。

それが本格的に学校に行けなくなる始まり。

小幡:なるほど。一回、長期間休むと戻りにくいですよね。

オリィ:そうそう。何でもそうじゃない。会社もそうだし部活もそう。

いったん長期間休むと戻りにくい。
学校っていうところが自分の居場所じゃなくなってくる気がして。

ボーイスカウトをやっていたんですが、ボーイスカウトも集団行動が苦手なので基本逃げ出していたんですが。

やっぱりそこにもクラスメイトとかがいたから、学校休んでるのにボーイスカウトだけ出てると言われるんですよ。

そうすると更に居場所がなくなってくるというか。

そういう意味では狭いコミュニティーだったのが辛かった。

小幡:本当に行かなくなった時はどんなことをしていたんですか?

本当に行かなくなった時は絵を描くか、後は趣味が折り紙なんですよね。だからオリィなんですけど。

唯一、私がすごいと言われるのが折り紙だった。

絵もうまいねとは言われていたけど、そこまでうまかったわけじゃないし、割と描く絵が独特だったこともあって。

でも折り紙で薔薇とかを作ると「すごい」と言われるのが嬉しくて、初対面の人にはいつも折り紙で薔薇を折ってプレゼントをして、何とか自分の価値を保っていたというか。

小幡:あーわかります。

オリィ:自分が無価値な気がしてくる。

小幡:僕はそれがゲームでしたね。ひたすらゲームをやり続けていました。

遊戯王カードを僕ら世代はみんなやっていたんですが、大会で優勝しまくっていたので和歌山で1番強かったんです。

そういう中で評価される。何かの分野で評価されると、それが自信になる。

オリィ:たぶんそれはリアクションだよね。

いたずらとかも大好きだったんで、先生に驚かれるというのがとにかく好きだった。

なんでいたずらするかというと、その人が驚いてるとか、怖がっているとかリアクションが楽しみで、ついついクリエイティブさを発揮してしまうんですよね(笑)

私の場合は、「君は偉いねとか、天才だね」とか褒め言葉に対してはあまり嬉しくなかった。寧ろ相手がすごい驚いた顔とか、それこそ落とし穴にハマったような顔とかが大好きだった。

そういうリアクションが見たくて、例えば輪ゴムでバチンと急に動くようなおもちゃだったり、封筒とか開けた瞬間にガタガタ動くようなあの手の物が大好きなんです(笑)

小幡:僕もよく作っていました(笑)

オリィ:ただし、学校に行かないと友達とか先生の驚く顔が見れなくなるから、より自分の楽しいことが発揮できる環境がなくなる。

後編はこちら

この世界のどこかに自分の居場所を見つけてほしい。吉藤オリィ×小幡和輝対談(後編)

他の対談はこちら

大量生産モデルの学校に馴染めない子は社会不適合なの?JERRYBEANS×小幡和輝対談(前編)

ある日を境に一人ぼっちに。逃げ続けた先に見えた、好きと才能を生かす世界。家入一真×小幡和輝対談(前編)

不登校でもいい。学校以外に居場所を見つけよう。河合未緒×小幡和輝対談(前編)

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小幡和輝の新書はこちら

学校は行かなくてもいい漫画付き.001




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小幡和輝 Kazuki Obata (@nagomiobata)
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小幡和輝へのお仕事依頼について

NagomiShareFund & 地方創生会議 Founder/内閣府地域活性化伝道師

1994年、和歌山県生まれ。約10年間の不登校を経験。当時は1日のほとんどをゲームに費やし、トータルのプレイ時間は30000時間を超える。その後、定時制高校に入学。地域のために活動する同世代、社会人に影響を受け、高校3年で起業。様々なプロジェクトを立ち上げる。

2017年、47都道府県すべてから参加者を集めて、世界遺産の高野山で開催した「地方創生会議」がTwitterのトレンド1位を獲得。その後、クラウドファンディングと連携した1億円規模の地方創生ファンド「NagomiShareFund」を設立し、地方創生の新しい仕組みを構築中。GlobalShapers(ダボス会議が認定する世界の若手リーダー)に選出。

「高画質」 小幡和輝プロフィール 横長


メディア出演 NHK・フジテレビ・日本経済新聞・The Japan Times など
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僕は小学校から10年間、不登校でした。だけどさまざまな出会いやきっかけがあり、高校生3年生の時に起業しました。僕の経験が同じように不登校で悩んでいる子の役に立ててばと思い、今までも僕の実体験をもとに発信てきました。だけど不登校にはいろんなタイプがあるので、僕の体験がすべてに当てはまるとは思っていません。ということで、不登校の経験がある方々との対談企画を全8回に渡ってお届けします。
たくさんの事例の中で共通することはなにか。また不登校の経験がいまどのように活きているのかを聞いてきました。

第2回のゲストは、家入一真さんです。

※この対談は、書籍「不登校から高校生社長へ」に収録したものを、一部加筆・修正したものです。

家入一真

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1978年福岡県出身。中学2年から登校拒否、極度の引きこもりに。県立高校を1年で中退後、大検を取得し東京芸大を目指す。新聞奨学生をしながら芸大予備校に通い留年するが、父親の交通事故や自己破産などがあり、止むを得ず就職。

デザイン会社に入社し、在職中にウェブサイトのデザインや開発に興味を持つ。22才で株式会社paperboy&co.を福岡で創業、ロリポップレンタルサーバー、ムームードメイン、カラーミーショップ、ブクログなどを立ち上げ、25才で株式の一部を株式会社GMO(東証一部)にバイアウト。29才でJASDAQ市場、最年少で上場する。

現在は、クラウドファンディング「CAMPFIRE」代表取締役CEO。スマートEC「BASE」共同創業取締役。他、多数の企業の役員や顧問を務め、50社程のスタートアップ・ベンチャー投資も行う。また、現代の駆け込み寺(シェアハウス)「リバ邸」などの居場所づくりを行っている。

小幡和輝(以下、小幡):家入さん。今日はありがとうございます。早速、いろいろお伺いしたいと思いますが、学校に行かなくなった時期はいつからですか?

家入一真(以下、家入):中学校2年生です。元々のきっかけはね、ほんと些細なことで。それこそ、それまでは割と明るい方だったとは思うんですよ。

明るい方というか、クラスで誰かを笑わせたりだとか、元々絵を描くのがずっと好きだったので、4コマ漫画を描いてみんなに見せたりだとか。中央で盛り上げるというタイプではないけど、なんかよくクラスにいましたよね。4コマとか描いたりする子。

小幡:僕、学校に全然行ってないんですが、いそうな雰囲気はわかります。

家入:あ、そっか。まぁイメージで。中2くらいまではそういうタイプでした。

僕はずっとスポーツの成績は「1」とかだったんで、どっちかというと漫画とか描いてたんですが、もう一人相方みたいなやつがいて、そいつは割とスポーツが出来て、見た目もちょっと格好良くてみたいなやつで。

そいつとは、帰り道が一緒でお互い家が貧しかったんです。貧しいから仲が良いってわけではないけど、何かお互い親しいものを感じていて仲が良かったんです。
それで、ある時そいつにチン毛が生えたと。今だと笑い話ですけどね、当時はなかなか繊細な問題じゃないですか。僕とかまだ全然生えてなかったんですが、そいつが誰にも言えんけど「これはお前だけに話す」と。

それなのに、うけると思ってそれをみんなに言っちゃったんですよね。
そしたら本当に大喧嘩というか。まぁそうですね、喧嘩でもないですよね。

一方的に「これからは仲間外れだ」みたいになり、それこそ昨日までは昼休みにみんなで遊んだりしてたのが、次の日からほんとに誘われなくなってしまいました。
で、「やばいどうしよう」みたいな。1人でいるっていうのがまた辛いわけですよ。

教室とか1人でいるのとかを見られると、「あいつ1人」って思われるのがすごい嫌でとりあえず図書室に行っていました。
ある日を境に急にそういう風になってしまって。それでも何とか行ってはいたんだけど、やっぱりね…。

仲間外れにされてそれ以降、輪にも入れてもらえないのが辛くなってきて、最終的に親に「学校に行ってきます」と言って家を出るんだけど、家の裏にある納屋かなんかにずっと隠れていていました。

でもそれはやっぱすぐバレますよね。

小幡:もちろんそうですよね(笑)

家入:親としてもいきなり言うかどうか悩んだと思うんですけど、1~2日くらたったところで、「あんた学校行ってないな。どこおるん?」と。

それでも「いや、行ってる」って嘘をついて、また次の日も「行ってきます」と家を出たんですがそしたら見つかって。

引っ張って学校に連れて行かれて、でも逃げてみたいな。そっから割とずーっと逃げていました。

中3になったらまたクラス替えがあるから行けるかなと思ったけど、結局まぁ無理で…。中3も結構行ってない時期が多かったですよね。たまに行ってもほんと1人って感じでしたね。

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小幡:僕はその期間が1番辛いかなぁと思っていて。

小学2年の中間から行かなくなったんですけど、1番辛かったのが小学2年の前半くらいで、クラスに馴染めなくて、ちょっと居場所がないんだけど、うちの親が教師ということもあり、かなり行け行けという教育的なこともあり。

しかも、人口1万人くらいの小さな街なので僕の父親が教師ということを大体知ってるんですよね。そいった時に僕が行かないということは父親にも迷惑がかかるという状態で頑張っていくみないな。

家入:確かにね。何なんだろう、親にすごい申し訳ないみたいな気持ちがめちゃめちゃあるんだよね。申し訳なさとか情けなさとか色んな感情が入り乱れていて。

「お前いじめられてないか?」と言われた時に「いや、遊んでるだけだよ」っていじめられてる側が言っちゃうのってすげーわかんなと思っていて。

親に心配掛けたくないとか、親からいじめられてるって思われたくないとかすごいあるんですよね。

よく逃げろってことを言いますけど、僕は幸いにして自分で自分の身を守ると言うか、心が折れそうになったら逃げるということを一つの防衛本能としていて。

逃げたくても逃げれない人もたくさんいるし、逃げるってことすら勇気がいるってことを話される方もいたりするし。

僕はなんか親がどう言ってもほんと無理で、学校に行けなくなっちゃってほんと逃げ回っているみたいな。

親も最初は無理やり車に乗せるとか、引っ張って連れていくとか先生に来てもらうとか色々やったけど、それでも本当に無理だったから。

それでも逃げて返ってくるんですよ、僕。

これは無理だと最終的に諦めてくれたんですよ。それがすごく良かったですよね。そこから楽になったと言うか。

長男だったし親が期待していた、中学・高校・大学に行って就職をするという期待には答えられなかったかもしれないけど、とりあえず自分自身の心みたいなものを考えた時に、あえて諦めてくれて楽になりましたね。

小幡:僕もほんとそうだなと思っていて。

親と1番喧嘩した時期があって、毎朝喧嘩して、僕は「行きたくない」親は「行け」と。ほんと毎朝ずっと喧嘩し続けて、ある日、「まぁいいよ」と諦めてくれて。

その時、親からすると自分が仕事の否定というか教師の仕事をしていて自分の子供が不登校というのは今から振り返るとほんと申し訳ないと思うんですけど。

家入:そうだよなぁ。

小幡:でもまぁその時に本当に諦めてくれて、行かないという選択を許してくれたのが、今振り返ると本当にありがたいと思っていて。

そっからはそんなに辛くなかったんですよね。家に一旦いれるというか居場所があるというか。

家入:確かに。それはすごくわかります。

僕も今日も行けないというのをすんなり受け入れてくれ、部屋の中に閉じこもった時はめちゃめちゃホッとした。居心地がいいというか。

小幡:どれくらいそういう期間がありましたか?

家入:中2~中3ですよね。その後、高校受験をして福岡の進学校みたいなところに一応受かったので。

そこに行き始め、自分的にはそこで友達関係もリセットされてるし、もう一回再デビューだという気持ちではあったんですけど。

やっぱり中学校2年間のブランクがデカイというか。どう話していいかわからなく、最終的に笑い方がわからなくなっていた感じがすごくあって。「自然な笑い方ってどんなんだっけ?」みたいな。鏡の前で練習をしたのをすごく覚えています。

そういう感じで高校には入学したんだけど、結局またすぐ行かなくなっちゃったんですよね。高校に入学してからも、「行ってきます」と家を出て行かないという同じことを繰り返していたんですが、でも行く日もあったんですよね。

高校に入学した始めての運動会の当日、親に「今日は行ってくれるね?」みたいな感じで言われて、「運動会は行くよ」って答えたんですが…。

体操着に着替えるところまでは出来たんだけど、みんなが集まっている校庭には行くことが出来なくなっちゃって。トイレに篭ったんですよ。先生が来てドアをドンドンドン叩き「早くみんな集まってるぞ」「すみません、お腹が痛くて」「早く出てこい」みたいなことを何回かやりとりしていて。

最終的に「もう無理」と思って体操着と裸足だったんですけど、トイレの窓からそのまま外に出て、とりあえず一目散に逃げました。

田舎の方の高校だったんですけど、よくわからない電車に飛び乗りました。取りあえず遠くまで行ってまた戻ってきて、同じ駅で降りたらお金がかからないとそんな状況の中でも考えたりして。

最終的に北九州の方まで行ったのかな?夕方になるくらいまで乗っていました。

ふと、何もないところで降りてみようと思って。お金を持っていたのか、無人の駅だったか記憶が曖昧なんですが、とりあえず降りられたんですよね。

日も暮れかけていて、畑しかないようなところをトボトボと歩いていてたら、情けなくて、泣けてきちゃって。何やってるんだろうなみたいな。

泣いていたら、今度は鼻血まで出てきて。涙と鼻血がすごい出てきて体操着が血まみれになってヤバイみたいな(笑)で「もう帰ろう」と思って、また電車に乗り何とか家に帰ったんですよね。

夜になっていて、家のドアを開けたらお袋とかも泣いてるしお通夜みたいになっていて。後で妹とか弟に聞いたら、親もお弁当を作って、一家で応援しに来てくれたみたいで。みんなで探したけど見つからなくて、結局近くの公園で家族でお弁当を食べて帰ったみたいな(笑)

そこ以降ですかね。親も何も言わなくなったのは。

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小幡:家入さん的には申し訳ないっていう感じですか?

家入:うーん…申し訳ないという気持ちはめちゃめちゃあったなぁ…。

親から別にこういう風になれというのは特になかったけど、自分なりに勝手に長男だから、ちゃんと良い高校に行って良い大学に行ってと考えてたし。それを叶えられなかったっていうことへの申し訳なさとか。自分自身へのがっかり感とか。

じゃあ学校に行けばいいじゃんって思われるかもしれないけど、それはもう無理みたいな。足は動かないみたいな感じですかね。

その件を境に行かなくなった。僕が高校に受かったお祝いでPC98という中古のパソコンを親から買ってもらって、それでめちゃめちゃハマってプログラミングとかをやっていて。

先生はすごい良い人で、「お前のためにプログラミング部みたいな部活を作るから、とりあえず部活から顔を出したら良いじゃん」とか、色々声を掛けてくれて。顔も名前も思い出せないけど(笑)

それも学校に行くのは無理で、とにかくひたすら家でC言語を書くということをやっていましたね。

小幡:そっから新聞配達を?

家入:もうちょい先だね。でもバイトはちょこちょことやってたかな。自分で欲しいプログラミングの本とか色々と買いたいものがあって。自分自身も外との接点を持ちたかったんだなと思います。

ほんとに家にずっといて、本屋には行きたいんだけど、日中はなんか友人とかとすれ違うんじゃないかと怖くて出れなかった。夜遅い時間までやっている本屋があったので、夜遅くなって出かけるみたいなことを繰り返してました。

うちもすごく貧しかったんで、本買うお金とかたまにくれたけど、基本的には買ってくれないんで。自分でバイトをしようと思って新聞配達を始めて。新聞配達は何も考えずにやれたので。出会いとかもないし、割と向いてたなぁと。

新聞配達をやっていて、そうこうしていたら高1で多分退学になりました。

プログラミングをやる一方で、元々絵を描くのも好きだったんで描いていました。ほんと家に引きこもりなんで描くモチーフが花瓶とか、最終的に自分の手しか描いてなかったですけどね。ずっとデッサンばっかりやっていました。

福岡なんですけどSOGO(そごう)っていうデパートがあって、SOGOで印象派の展示があるみたいよとか色々誘ってくるんですけど、基本的に興味がないというか、何より外に出たくないし。

親からすると、たぶん何か理由をつけて外に出したかったと思うんですけど。

ある時、母親が山田かまちって人の展覧会があるから行かないかと誘ってくれたんですが、山田かまちって人の話は何か面白そうだなと思ったので出たんですよ。

山田かまちは幼少期からほとばしる才能で、めちゃくちゃ絵を描きまくっていて、24時間じゃ足りないみたいなことを言ってて、詩とかも良い詩を残しているんですが。

この人はすごい才能があったにも関わらず、本当に生き急いで生き急いで、最後は衝撃的な死に方をしていて。17歳の真夏の暑い日に上半身裸でエレキギターをかき鳴らしていたら、感電して17歳で亡くなってしまったんです。

この人の展示に行った時に、ちょうど僕も彼が亡くなった年齢と同じ年齢だったのかな。

それでなんか俺なにやってるんだろうみたいな。

自分は同じ年代なのに引きこもっていて、のうのうとエアコンの付いた部屋でプログラミングとかしていている。

「逃げる」っていう単語が彼の詩の中に出てくるんですよね。「逃げる逃げる ぼくは逃げて飛びつづける」という一節があって。

そういう詩にも衝撃を受けて、そこから僕も絵をちゃんと学びたいと思いました。

今まで我流でデッサンとかやっていたけど、ちゃんと学校に行きたい。学校に行くには大検(現・高卒認定)をまずは取らなければいけない。そこで大検の勉強をまずは始めて、東京芸術大学を目指すみたいな流れですね。

だた、デッサンは自分でやっていてもうまくならないんで、予備校のような画塾に通いたいと思いました。家ではお金が出せないというので、どうしたもんかなと思った時に新聞奨学生の広告を見つけました。

住み込みで朝と夕方に新聞を配れば、学費とちょっとしたお小遣いみたいなものを新聞社が出してくれる制度で「これだ!」と思い即効で電話をして、面接をしにいって…という感じでしたね。

後編はこちら

色んな人がいて色んな人生がある。だからあなたにも自分の人生を生きてほしい。家入一真×小幡和輝対談(後編)

他の対談はこちら

大量生産モデルの学校に馴染めない子は社会不適合なの?JERRYBEANS×小幡和輝対談(前編)

不登校でもいい。学校以外に居場所を見つけよう。河合未緒×小幡和輝対談(前編)

田舎ならではの狭いコミュニティが辛かった。吉藤オリィ×小幡和輝対談(前編)

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小幡和輝の新書はこちら

学校は行かなくてもいい漫画付き.001




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小幡和輝 Kazuki Obata (@nagomiobata)
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小幡和輝へのお仕事依頼について

NagomiShareFund & 地方創生会議 Founder/内閣府地域活性化伝道師

1994年、和歌山県生まれ。約10年間の不登校を経験。当時は1日のほとんどをゲームに費やし、トータルのプレイ時間は30000時間を超える。その後、定時制高校に入学。地域のために活動する同世代、社会人に影響を受け、高校3年で起業。様々なプロジェクトを立ち上げる。

2017年、47都道府県すべてから参加者を集めて、世界遺産の高野山で開催した「地方創生会議」がTwitterのトレンド1位を獲得。その後、クラウドファンディングと連携した1億円規模の地方創生ファンド「NagomiShareFund」を設立し、地方創生の新しい仕組みを構築中。GlobalShapers(ダボス会議が認定する世界の若手リーダー)に選出。

「高画質」 小幡和輝プロフィール 横長


メディア出演 NHK・フジテレビ・日本経済新聞・The Japan Times など
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僕は小学校から10年間、不登校でした。だけどさまざまな出会いやきっかけがあり、高校生3年生の時に起業しました。僕の経験が同じように不登校で悩んでいる子の役に立ててばと思い、今までも僕の実体験をもとに発信てきました。だけど不登校にはいろんなタイプがあるので、僕の体験がすべてに当てはまるとは思っていません。ということで、不登校の経験がある方々との対談企画を全8回に渡ってお届けします。
たくさんの事例の中で共通することはなにか。また不登校の経験がいまどのように活きているのかを聞いてきました。

第3回のゲストは、河合未緒さんです。

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河合未緒

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ネット上で不登校経験者と不登校生が相談できるサイト「Clue」・元不登校生のインタビューサイト「Load」をリリース。インバウンド事業で日本人・外国人向けに簡単に着れる着物&帯を販売。

小幡:ちなみに不登校経験を振り返ってみてどうでしたか?

河合:当時はものすごく苦しくて、同じ経験は二度としたくありません。今まで生きてきて色々な経験をしましたが、それでも1番不登校時代が苦しいと思いくらい辛かったです。

ただ、あの時不登校にならなければ、逆に人として終わってたなっていうのもあります。

行かないでそのまま一般的なレールの上を歩いていたら、もしかしたら相当捻くれた人間になっていたような気もしますね。

行かなくなる前は、勉強が出来たということや、周りより大人っぽかったこともあり、人を見下しちゃってる部分が多少なりともあったのかなと思うので、自分の中に原因もあると思いますね。

ただ、今でも日本の社会で生き抜くために学校に行かなきゃいけないという感覚はあります。

今回の対談者は全員起業しているからあまり関係ないかもしれないけど、会社員になると能力云々じゃなくて、人とのコミュニケーション能力が高い人が出世したり、生きやすかったりという部分がまだ強いと思いんです。

変な話周りの目線を気にしながら生きるというか、それが良いのか悪いのかわからないけど、そういう学校で学べる気がしますね。人の顔色を伺うみたいな(笑)

小幡:たぶん起業家には向いていないですよね。

やりたいことを好きな時にとことんやる環境が望ましいけど、学校だと常に枠組みが決まっていて、そこから出ることは基本的には出来ません。

学校はこの時間からこの時間にこれをしなさいということが、仕事よりも決まっているじゃないですか。

河合:日本の教育は全体教育なので右向け右みたいな感じで、飛び級とかもないですし、それが良い部分も悪い部分でもありますよね。

突き抜けた人は育ちにくい環境ではありますよね。

小幡:学校に行ける子は行った方がいいと思うんですよ。

でも合わない子は合わないんで、そこを無理やり合わせようとするとすごく大変だし、それは僕は才能を潰しているような気がしていて。

僕ならひたすらゲームをやりたいだとか、ひたすら絵を描きたいだとか、音楽をやりたいとか学校に行くよりやりたいことがある場合がある。

その時間をひたすらこれをやりたいんだって思える気持ちを小学生のうちから持っているのってそれは才能だと思っていて。

それを伸ばしてあげた方が、そういう子にとってはいんじゃないかと思っていているので、そういう選択を認めてあげれるような。

河合:社会が不登校に対しての目線が厳しいというのがあるんで、そこが変わっていかないと何をやっても子供達が苦しむだけというループは抜けれないから。

そこで苦しんで、そこに時間を取られて、人間不信に陥って気力をなくしてしまうのも才能を潰すことになってしまう。

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小幡:結局、不登校だった人たちが結果を出しまくるしかないと思っています。むしろ不登校を経験した人の方が成功者が多いぞみたいな(笑)

最近の流れだと大学を中退して起業するのが一つのブランドじゃないですか?スティーブ・ジョブズにしてもマーク・ザッカーバーグにしてもホリエモンにしても。

大学中退で起業=なんかすごいみたいな。そういうレベル感で中学校行ってない?なんかすごいなあいつみたいな(笑)

学校行かないことが駄目じゃなくて、学校に行かないことを何かで代用出来るかが重要で。

学校に行かないで家で時間を過ごすことはたぶんマイナスだと思うんですよ。学校に行かないんだったら、学校に行かないことより価値のあることをやらないと。

それだったら学校に行った方が蓄積されるものが多いんだけど、その時間をどう使ったら良いか導いてあげる人が周りにいることが重要だなと思います。

本人もちゃんと意識しないといけないとも思うんですよね。

将来を見た時に何も意識しなければ、ただ置いていかれるだけなので。別の道でちゃんとみんなに追いつくように頑張らないといけないと思います。

河合:そこまでの精神状態にあれば良いんですけど、大体の子供はそんなことまで考えられないという現実はありますけどね。

小幡:それは単純に情報量が少ないというのがありますよね。不登校で上手くいっている人とかに出逢ったり、起業したいならその順序も知らないわけだし。

家入さんの話にもあったように年が上の人が出来ることって、サンプルというか選択肢をたくさん教えてあげて、それに対して応援する。

普通に学校に行って勉強をして就職してって人が周りの98%を決めているわけだから、そういう人に出会う機会がないと思うんですよ。

河合:なんかどうしても子供は親の目線になっちゃいますよね。

小幡:それもあるし、先生は完全にそういうルールになっちゃいますよね。大学まで行っていなければ先生にもなれないわけだし。

先生はそういうポジションでしか喋れないと思うんですよね。

子供の頃って3分の1が先生、3分の1が親、3分の1が周りの人の影響だと思うんです。

この本で伝えたいのは学校って大事だけど、それは全てではないし、学校に行かなくても楽しい人生はあるよということですよね。

最後に、読んでくれている方に何かメッセージありますか?

河合:現状相談を受けている子たちで、家で虐待を受けていて、学校では友達にいじめを受け、先生は学校にどうしても行けと言われるみたいな、八方塞がりの子たちから相談がきます。

もしこれを見てくれている先生がいたら、先生だけでもその子の味方になってあげてほしいなと思います。

学校に行けと強く言い過ぎないだけでも、もしかしたらその子は救われるかもしれない。

家入さんの「リバ邸」はじめ不登校経験者の中で何かしら活動されている方はご自身で居場所を作っていらっしゃることも多いので、居場所がないっていうことが本当に辛かった経験なんだと思います。

親はどうしても子供を学校にすぐに行かせようとして焦っちゃうと思うんですが、それが子供を苦しめてしまうと思います。

今成功されていると言われている方たちでさえ、それくらい時間がかかっているので、長い目で見てあげて欲しいなと思いますよね。

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NagomiShareFund & 地方創生会議 Founder/内閣府地域活性化伝道師

1994年、和歌山県生まれ。約10年間の不登校を経験。当時は1日のほとんどをゲームに費やし、トータルのプレイ時間は30000時間を超える。その後、定時制高校に入学。地域のために活動する同世代、社会人に影響を受け、高校3年で起業。様々なプロジェクトを立ち上げる。

2017年、47都道府県すべてから参加者を集めて、世界遺産の高野山で開催した「地方創生会議」がTwitterのトレンド1位を獲得。その後、クラウドファンディングと連携した1億円規模の地方創生ファンド「NagomiShareFund」を設立し、地方創生の新しい仕組みを構築中。GlobalShapers(ダボス会議が認定する世界の若手リーダー)に選出。

「高画質」 小幡和輝プロフィール 横長


メディア出演 NHK・フジテレビ・日本経済新聞・The Japan Times など

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