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P.N. 凸凹ママ

わたしの実家暮らしでわたしの両親健在。

不登校が始まった当初の状況です。

今から4年前。彼の不登校は、発達障害ADHDの告知とほぼ同時に始まりました。

『薬、飲ませてください。ひどいです。今日も、、、、』

そんな内容の連絡ノートを学校から持たされてくる息子。

なんの権利があって薬を飲ませろというんだろうか。

将来、いや、今だって、何かあったらどうする気なんだろう。

コンサータというADHDのお薬を内服し始めてとても調子よく学校に行っていた息子。

でも、投薬を始めて、一ヶ月くらいした頃から副作用の方が目立ってきて、食べれない、眠れない。

こんなこと続いたら死んじゃうよねって思って、主治医に話したら休薬しましょうって。

だから飲ませるのやめた。

何より彼らしさがなくなってしまって。

優しかった息子は冷たい目をしてわたしや母に攻撃の言葉を吐くようになった。

そんな風にしてまで薬を続けたくないと思うことを話したにもかかわらず、学校はこんな対応。

学校が大好きだった息子が朝、登校を渋るようになってきた。

切なそう、辛そう。

そんな息子を見てて、つい、
『学校休む?』と言ってしまったわたし。

そしたら息子はびっくりした顔をして、
そして、『休んでもいいの?』と。

『いいよ』と言ったらホッとした顔になった。

よかった。この顔、して欲しかった。

たった1日と思ったのが、何日も続くようになり、担任からは1日3回以上電話が来るようになった。

気が狂いそうだった。

毎日、朝、今日も行けません、とファックスする。

電話をするといろいろ聞かれるのがいやだから。

理由なんか知らない、わかんない。こっちが知りたい。

息子とも毎朝ケンカ。

行く行かないで揉めて、疲れ果て、諦める。

結局、行けないでファックスすると担任から電話が来る。

学校に行けなくなって半年近くが経った頃、学校に行けない理由を息子がこっそり話してくれた。

実は、ADHDの特性で身の回りのことができなかったりするのだけど、机周りが散らかったり、身なりが整ってないことをからかわれていたらしい。

かわいそうなことをしてしまった。
無理矢理にでも髪をとかせばよかった。
シャツをズボンに入れればよかった。

それを担任に話したら、驚いたことに担任から返ってきた言葉は、『からかわれても仕方ないと思います』と言う心ない言葉だった。

わたし、思わず、校長室で担任を怒鳴りつけてしまった。

そちらの学校は、バカな子にバカと言っても仕方ない、という教育方針ですか?

汚いからと言って、汚いと言っていいと教えているのですか?

担任は黙っていました。

小学校5年生から始まった不登校。
息子の体も大きくなり、わたしもいい加減、どうしようもなくなってきた。

息子にやられて肋骨骨折。階段から蹴落とされる。結膜出血。歯もグラグラ。

そんなにしてまで学校行かなきゃならない?

息子も布団から出られない。毎朝、格闘する。

だって学校から電話が来る。

担任が家に来る。

学校に来なさいと毎日屋のような催促が来て、しまいには30日以上出席しないと県の教育委員会に報告します、と言われた。

それが何か息子の将来に影響があるのかと問うと、いえ、特に、と。

矢のような催促は保身のためだったようだ。

わたしに言っても無駄だと思ったのか息子に向かって、

『これ以上学校を休むと好きなことできなくなるかもしれないよ』
と言ったそうだ。

脅しだと思った。

なんでわたし、こんな教師のために、可愛い可愛い世界で1番大切な息子と怪我をするほど戦っているのだろう。

なんで、宝物を傷つけているのかな。

わたし、戦う相手間違ってない?おかしいのはどっち?普通って何?

戦うのやめました。

学校からの電話は徹底的に無視。担任とは話さない。

もういい、息子とわたしを苦しめる、学校なんか行かなくていいし。

わたしがそんな風に開き直った頃、息子は布団から出てこれるようになった。

新年度になり、担任は同じだったけど、連絡をくれる先生が変わった。

新しい先生が来て、息子が学校に来やすいようにしましょうといろいろと策を練ってくれた。

そんな中で、教育委員会の先生と相談する機会があり、そこで、息子の気持ちを中学校へシフトさせる作戦を立ててくださった。
勉強も、中学校の教科書を用意していただいて。
中学は楽しいよ。
そんな風に彼の気持ちを少しずつ前へ前へと向けるようにしていってくれた。

そんな風にして、運動会などの大きな行事だけは行けるようになって、放課後、学校へ行くようになった頃、ドラムと出会う。

『何したい?』

と優しいお兄さんのような先生に聞かれて、ドラムが叩いてみたい!と。
彼が学校に希望したのは初めてのこと。
先生もこころよく対応してくれた。

初めて叩いたドラム。
いきなりから結構うまく叩けた!

お兄さん先生が興奮して、

『お母さん!ドラムセット買うべきです!才能あります!』

と。
嬉しいながらもそんな高価なもの、母子家庭で買えるはずもなく。
そんなことをFacebookで書いたらすぐに電子ドラムを譲ってくれる友人が現れて彼はドラムに夢中になった。
本当にありがたかった。

小学校の卒業式。

息子は多分1番泣いてた。

後悔の涙だろうか。
そうじゃないことを祈りながら特に涙の理由も聞かなかったけど、息子は

『もっと学校に行けばよかった』

って。
『過ぎたことは忘れていいよ。中学校でもっと行けばいいじゃん』
そうやって気持ちを前へ前へとシフトさせていった。

努力の甲斐あってか、中学では薬もなしで1ヶ月、積極的に委員会にも立候補して頑張った。
けど、頑張りすぎたのかなぁ、5月になって学校行かなくなってしまった。
無理してしまったんだろうね、と担任の先生も言ってくれた。

中学校とは程よい距離を保つことができて、布団に逆戻りすることもなく、学校の友達とも遊ぶことができるようになっていた。

ただ、外に出るときは帽子とマスクが欠かせず、パーカーのフードを深々とかぶっていた。

まずはまた学校には行けなくなったけど、学校との関係が良好だったので、今回は追い詰められることもなく、かなり気が楽だった。

その年の夏。
再婚することになり、転校。

それを機会に通えるかなぁと思ったけど、学校自体に苦手意識があるのか通うことはかなわなかった。
しかし、担任の先生が大変理解のある先生だった。
息子が他の生徒さんに会いたくないという気持ちを優先させてくれ、夕方の登校が叶った。
一対一でなら、勉強も楽しくできて、息子は数学が好きだと言うまでになった。

そしてその頃、幼馴染のギターボーカルの子と、バンドを組んで一緒に練習するようになった。

そしてついに今年の春、ライブハウスデビューすることができた。

それ以来、マスクも帽子もなしで出掛けられるようになった。

わたしもカフェをオープンさせることができ、学校へ行けない昼の間も、カフェの手伝いをして過ごすようになった。

『カフェにいることでお客様から学校は?と聞かれることもあるけどそのときは本当のことを話してもいいか?』
と問うと
『いいよ』
という返事でかなり開き直ることができていた。
このとき彼は中学三年生になっていた。あれから四年が経っていた。

さらには、高校も隣県の音楽を学べる学校を選び、そこへ行くことになった。

学校で辛い思いをして布団から出られなかったら彼。
耐えて耐えて頑張り抜き、周りからのフォローもあってようやくここまで。

そして今はイキイキとカフェを手伝いながら、ドラムを叩き、来春を楽しみに待っているところだ。
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小幡和輝 Kazuki Obata (@nagomiobata)
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NagomiShareFund & 地方創生会議 Founder/内閣府地域活性化伝道師

1994年、和歌山県生まれ。約10年間の不登校を経験。当時は1日のほとんどをゲームに費やし、トータルのプレイ時間は30000時間を超える。その後、定時制高校に入学。地域のために活動する同世代、社会人に影響を受け、高校3年で起業。様々なプロジェクトを立ち上げる。

2017年、47都道府県すべてから参加者を集めて、世界遺産の高野山で開催した「地方創生会議」がTwitterのトレンド1位を獲得。その後、クラウドファンディングと連携した1億円規模の地方創生ファンド「NagomiShareFund」を設立し、地方創生の新しい仕組みを構築中。GlobalShapers(ダボス会議が認定する世界の若手リーダー)に選出。

小幡和輝 プロフィール 横長


メディア出演 NHK・フジテレビ・日本経済新聞・The Japan Times など

著書「不登校から高校生社長へ」