小幡和輝オフィシャルブログ

約10年の不登校を経験後、高校3年で起業。 もっと詳しい自己紹介は下の記事を! 社会のギモンに切り込んでいきます。

カテゴリ: ギモンに切り込む

シロツメクサ

私の息子は小学4年生。不登校になって1年と少しが経ちました。

今も不登校なので、再登校のきっかけやその後のことなどは書けません。
どのようにして不登校の状態となったかと、現在の様子などを書きたいと思います。

息子はもともと、不安が強かったり、自分の気持ちを言葉でペラペラしゃべることが苦手という特性がありました。
朝、登校前にはよく、「学校怖い。」「〇時までに絶対お迎えに来てね。(学童保育)」と言っていました。

それでも1年生の時は新しいお友達もできて、登校時や参観日の様子などを見ているととても楽しそうにはしゃいでいました。

でも2年生の途中から様子が変わっていきました。

担任の先生から、休み時間によく一人で過ごしていると聞くようになりました。
お友達が放課後遊ぼうと誘ってくれても断るようになりました。

それと時々朝起きると、足が痛いと訴えるようになりました。
だけど、学校を休んでお昼ごろになるとその痛みはいつも消えていました。
何度も整形外科を受診したけれど異常なし。

だけどそれは、学校が嫌だから仮病を使っているということでは決してないようでした。
本人も、「どうして痛いの?いつ治るの?」と不思議がって不安な様子だったのでそう確信しました。

後にわかりましたが、精神的なストレスが身体症状として出ていたようです。

私も薄々気付いていたはずですが、あまり学校を休ませてはいけないと思っていたので、
「ちょっと痛いくらいなら皆気にしないで学校に行ってるんだよ。あんたも頑張りなさい。」
という内容のことをよく言っていました。

時々足のことで休みながらも、息子は頑張って学校へ行っていました。

だけどその状態が1年続いたころでしょうか、
息子はどんどん力を失っていき、学童保育に行くのをやめ、続けていた運動教室もやめ、ついに学校へも行けなくなりました。

不登校になる直前、とても印象的ではっきり覚えている場面があります。

息子が学校から帰ってくる頃に家の前に出ていたら、息子が歩いて来たのですが、その姿がなんとも力なく、見るからにボロボロでした。
小学生の男の子の見た目がボロボロ、というのはみなさんには伝わらないかもしれません。
でも本当に、とても傷ついて、とても頑張って、心がボロボロになっているように見えました。
そして息子は「僕、頑張った?」と泣きそうな声で聞いてきました。

その姿を見て、息子がどれだけ限界を超えてしまっているかを私は理解したような気がします。

今でも、なぜ不登校になったのか、はっきりとした原因は本人の口から聞けていません。
本人にも分からないのかもしれません。

完全なる不登校になる前、私は息子を怒鳴りつけたことも何度もあったし、無理やり引っ張って学校へ行かせたこともありました。
だけどその全てが、息子のエネルギーをますます奪ってしまったのは間違いないような気がします。

息子は不登校になった。
不登校になるほど、頑張ったんだなと思います。

再び学校へ行くこと。
また学校へ行ってくれたらいいなと思う気持ちが無いわけではありません。
ありませんが、あそこまでボロボロになった場所へ戻すことが、はたして息子にとって良いことなのかと考えることがあります。
多分、答えはNOだと思います。

息子を見ていると、まだ小学生なのに学校へ行かなくて大丈夫だろうか?と不安になりますが、逆に、この子は、学校へ行くという大多数の子とは別の道を行っているだけで、人より優れたところもあるし、学校へ行っていないことをやりようによってはむしろいかせるかもしれないと思うこともあります。

息子の弱い部分も受け入れて、息子の良さを応援し、信じていきたいと思います。

ちなみに現在は、毎日少しづつですが勉強をし、あとは結構な時間ゲームをしています汗
ゲームは、すごいなぁと感心するほど上手だし頭を使っています。
プログラミングに少し興味を持ち、親子で始めたところです。
ストレスはとれて穏やかに安定して過ごしています。

息子、がんばれ~!!

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#不登校は不登校じゃない全国100ヶ所で不登校を肯定する居場所作り

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小幡和輝 Kazuki Obata (@nagomiobata)
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NagomiShareFund & 地方創生会議 Founder/内閣府地域活性化伝道師

1994年、和歌山県生まれ。約10年間の不登校を経験。当時は1日のほとんどをゲームに費やし、トータルのプレイ時間は30000時間を超える。その後、定時制高校に入学。地域のために活動する同世代、社会人に影響を受け、高校3年で起業。様々なプロジェクトを立ち上げる。

2017年、47都道府県すべてから参加者を集めて、世界遺産の高野山で開催した「地方創生会議」がTwitterのトレンド1位を獲得。その後、クラウドファンディングと連携した1億円規模の地方創生ファンド「NagomiShareFund」を設立し、地方創生の新しい仕組みを構築中。
2018年、不登校を肯定するムーブメント「#不登校は不幸じゃない」を立ち上げ、8月19日に全国100ヶ所でイベントを同日開催。SNSで#の関連投稿は2万件を超え、多くのメディアにも取り上げられた。GlobalShapers(ダボス会議が認定する世界の若手リーダー)に選出
「高画質」 小幡和輝プロフィール 横長

メディア出演 NHK・フジテレビ・日本経済新聞・The Japan Times など



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今から30年も前の話をします。

小学校3年生のとき、肺炎で3ヶ月ほど入院しました。

退院後、初登校の日からイジメが始まりした。

授業で図書館で本を探しているときに、いきなり女の子2人がぶつかってきたのでした。何度も何度もぶつかってきたのでした。

そのときは、なにが起こったかわかりませんでした。
ただ、何でぶつかるんだろう?何であんなに楽しそうにぶつかるのだろう?と不思議でした。

其から、無視されたり、仲間ハズレにされたりイジメか、はじまりました。

学校でイジメられても、我慢していました。

学校にいるときだけ、我慢していればいい!と自分に言い聞かせていましたし、家に帰れば学校のことなんて、忘れられました。

何故なら、家には大好きな愛犬がいましたから!
愛犬といつも一緒に遊んで、癒してもらっていました。
嫌なことすべて忘れられました。

しかし、愛犬がこの年亡くなってしまいました。

悲しみと寂しさで、学校に行けばイジメられどんどん元気がなくなりました。だけど、学校に我慢して登校し、4年間が過ぎました。

毎日朝お腹痛くなり、行きたくないと思いながら登校しました。中学生になればイジメから解放されると言う思いから我慢していました。

中学校は3校に分かれるため、イジメの主犯格と別れられるからでした。

やっとの思いで小学校を卒業し、今度は中学校だと胸弾ませていました。

中学校に入り、3、4ヶ月くらいは順調に生活していましたが、また、イジメのターゲットになってしまいました。

小学校であんなに我慢をしたのに、またなんて何で!と思いましたが、イジメがまたはじまりました。

もう心が我慢出来なくなってしまい、学校に行けなくなりました。

それからは、毎日どこにも行かず引きこもり生活でした。

小学校のときに、一度だけ勇気を出して母に相談したことかありましたが、[そういう人もいるからね!]の一言だけでした。

その頃の母は、父が入院していたこともあり、いろいろ忙しかったので仕方ないのですが、その一言だけだったのでその後は誰にも相談しなくなりました。

引きこもり生活の中で、自分を攻めてばかりいました。自殺も考えました。それでも、生きていました。

でも、部屋にノートとペンがありました。

何か書きたくなり今までのことやいろいろ書いて毎日過ごすようになりました。

少しずつ前向きになり、2年たったある日学校に行きたくなり行けるようになりました。

人生長いので、我慢しすぎは心が壊れてしまいます。
我慢せず、心の休養を取るようにしてくださいね!

絶対に幸せになりますよ!

私も今家族も増えて、子供も大きくなり幸せに暮らしています。

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私は小学6年生の頃、連休明けや新学期が始まる時期が嫌いだった。

親の再婚が理由で、慣れ親しんだ学校を転校して、6年生になって新しい学校に行くことになったからだった。私はとても辛かった。
通い慣れた通学路、優しい先生、にぎやかなクラスメイトたち。

幼いながらに積み上げてきた人間関係があったのに、何故一からやり直さなければならないのかと思っていた。しかし、転校してみると案外簡単に仲良しの友達ができた。

喜んだのもつかの間、転校早々に事件が起きた。
同じクラスのSさんの鉛筆が無くなったという小さいけれど大きな事件。
みんなで教室中を探すと、何故か私の机の側に落ちていた。
クラスの中心的な男子が叫ぶ。
「あいつが盗った!!!」

教室中の視線がいっせいに私の方に向いた。
今思えば、Sさんの席は私の斜め前だったし、Sさんが使って出したままにしていたのではないかとも思うけど、12歳ぽっちの子どもにはそんなこと考えつかなかった。

私がいくらやっていないと訴えても、誰も聞いてはくれなかった。「よそからやってきて、クラスの和を乱した子」という風に認識されてしまったのだと思う。
SさんやSさんと親しいクラスメイトたちは怒ったような、睨みつけるような顔で私を見ていた。
私は、一瞬にして「どろぼう」にされてしまった。

それからの学校生活は、とても明るいとは言えないものになってしまった。
上履きが無くなったこともあった。
「寄せ書き」と称して、ノートをぐちゃぐちゃにされたりもした。

あまりに辛くて、夏休みが終わるころ、初めて母に学校に行きたくないと伝えた。
母は「行きたくなったらまた行けばいい。無理に行くようなところじゃない。」と言ってくれた。
行きたくないと言ったら失望される、嫌われると思っていた私は、ありがたいやら、自分が情けないやらで大泣きした。

大人になってから、どうして行かなくていいなんて言ったのか聞いてみたら、
「あなたが行きたくないところへは、無理に行かせる必要ないのよ。それに、あなたは学校に行かなくたって、何が大切かわかっていたから。」と母は言っていた。

学校でいじめられているとか、なんだかわからないけど学校に行きたくないとか、学校に行けない理由は人の数だけある。
理由はたくさんあるけど、学校に行けないということは、今は心や体を休めて充電をしないといけないという自分からのメッセージなのだと私は思う。

学校に行けなくたっていいんだ。
無理しなくたって大丈夫。
なんとかなるさ。

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初めまして。”たろ”といいます。

私は、小学生低学年の頃、ヒステリックを持っていました。何か気に入らないことがあると、すぐぐずって、暴れて、周りをぐちゃぐちゃにしてしまう。

小学生の頃だったので、自分でも感情の制御が効かず、先生や親等に多大な迷惑をかけたなあ。と、あの頃をふと思い出します。

今ではヒステリックも落ち着いて、ちゃんと大学にも進んで、それなりの企業への就職も決まりました。この記事では、僕が小学生低学年だったあの頃を思い出して、なぜヒステリックを起こしていたのか。更にそれが改善されるまでの経緯を綴っていきます。

僕と同じような境遇を持つ親御さんの心が少しでも救われれば幸いです。

■幼稚園は施設育ち。家では、常に両親が喧嘩していた幼少期
私は、幼児期から施設で育ちました。親がともに働いており、小さかった私の面倒を見きれなかったためだと聞いています。その頃は特に自我も芽生えておらず、集団の生活を楽しんでおりましたが、たまに家に帰ると、施設に戻ることを泣いて拒んだことを今でも覚えています。

やはり、どれだけ離れて暮らしていても、親の存在は絶対で、だからこそ、たまに会える親との時間が奪われるのが悲しかったです。

■小学生入学。親と暮らし始める
小学生入学とともに離れて暮らしていた親と一緒に住むようになりました。幼少期はアトピー持ちでしたが、親と暮らし始めてから途端にアトピーが治ったようで、親の力は偉大であると感じます。
しかし、ともに暮らしはじめて、親が毎日、喧嘩することに気づきました。

子供心に、なんとなく自分のせいで喧嘩していることがわかるのがとても辛かった。しかし、我慢しないと親が更に喧嘩すると思って、必死に堪えていたのを思い出します。

■小学生生活。最初は順風満帆。
小学校の1年の頃は楽しかったです。施設にいた頃から算数をやっていたため、勉強の成績がよく、親から褒められるのが嬉しくて仕方がなかった。

たまに家では親が喧嘩していますが、友達もできたし、比較的楽しい生活だったことを覚えています。

■小学高3年に上がって、急速にヒステリック化。
小学生三年に上がって、勉強が少しずつ難しくなってきました。それまで、ラクラク100点取れていたのが、全く取れなくなってきました。その度にテストの用紙を破ったり、怒りを顕にするようになってきました。

多分、勉強ができることを褒められることでアイデンティティが保たれていたのが崩壊してしまい、今までの我慢が相まって爆発してしまったのだと思います。

それからは、怒りを発散すると、気持ちいいということに気づき、なんでも気に入らないことがあると、すぐにヒステリックを起こすようになりました。

ひどいときには、学校から逃げ出して、先生に捕まったり。「死ぬーーーー!!」といって、2階から飛び降りたりしました。(運良く下が芝生で無事でした。)

先生のことを本当に困らせました。先生のすすめで私はカウンセリングに通いましたが、全く改善しませんでした。

■小学高4年時、良き先生に出会う
小学三年時は常にヒステリックでしたが、小学四年時に、素晴らしい先生に出会いました。だめなところはしっかりと叱ってくれましたが、良いところはとことん褒めてくれました。また、私としっかり向き合ってくれました。

今まで持っていたヒステリックは、その先生によって見事に改善されました。少しずつ心が成長したことも原因だと考えます。

■最終的に
この頃から、心は回復し、”普通に”学校生活を送れるようになりました。無事大学受験も成功し、素敵な企業へと就職も決まりました。

■まとめ
子供の心はとてもデリケートで、そのこころを満たすことは非常に難しいです。私は、家庭で溜まった我慢が爆発した形でヒステリックになり、まともに学校生活を送ることができませんでした。

良かったなと思うのが、カウンセリングへ通わせてくれ、またヒステリックを無理に抑え込もうとされなかったのが良かったのだと思います。

最終的には心の成長や、それを気づかせてくれる第三者の力によって、傷ついた心は改善するのですから。

今、同じような境遇の子供さんを持っており、悩んでいらっしゃる方。自分の教育が原因だと自分を責めないでください。子供はきっと心の成長とともに、その困難を突破します。

私は、今親に感謝しております。

たろ

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私は今幸せです。それは自信を持って言えます。
私はもうすぐで30歳。毎日仕事を頑張り、好きな人と毎日過ごす日々。

当時の私には想像できなかった生活です。

約20年前、両親が離婚し、当時小学生だった私は初めて引越しをしました。
今まで近所の友達と何も問題なく過ごしていた小学校低学年。
小学校が終わると毎日友人の家に行き遊んでいました。
そんな楽しい毎日を送る中、急な離婚。
私は母に引き取られ、母の実家の田舎に引っ越しました。

引越したばかりの時は祖父母と母と新しい生活だと楽しくて仕方がなかったです。
母の母校である小学校に姉と共に転校しました。
転校した最初は、みんなにちやほやされました。
毎日違う学年の子もクラスに会いに来てくれました。
しかし、そんな人気者もつかの間でした。

突然、、、
クラスの女の子からいじめのターゲットにされました。
理由はよくわかりません。
私は毎日一人でした。みんな先生がいる前では私のことを優しく声かけてくれました。
しかし、休み時間は私はいつもひとりぼっち。

放課後も誰も一緒に帰ろうって言ってくれません。私のことを見ながらクスクス笑いだすクラスメイト。

私は居ても立っても居られない状況でした。
当時お腹がすぐに痛くなる私は、たまたま日曜日にお腹が痛くなりました。

心配性の母は「明日学校休む?病院に行こう。」

と、私は翌日学校を休みました。

すると、クラスメイトから休んだ子宛のお手紙が届きました。
普段はいじわるなみんなの優しい言葉。

優しく声をかけてくれる母。

勉強をしなくていい時間。

私はその日から、何かと理由をつけては休むようになりました。

ついに、小学校6年生の頃には完全なる不登校。

しかし、私は不登校時代、母から怒られたことはありません。

母は私がいない部屋で泣いていました。

当時母が、祖父母に自分のせいで不登校になったと泣いていたのを覚えています。
そんな母を見ても学校には行けない自分。

しかし、いつも祖父が一緒に自分の若い時の話をしてくれました。
私は学校に行くのは嫌でした。
しかし、祖父母から歴史の話を聞いたり、ソロバンを習うのは楽しかったです。


母もドリルを準備して、一緒に勉強してくれました。
そして一言、ごめんね。
とつぶやきました。

母は
自分のせいで学校が変わってしまった。
申し訳ないとずっと謝ってきました。

私は自宅で支えてくれる人がいました。

何度も、一人なら死にたい

生まれてこなければよかった


私なんかクラスの邪魔者

と、毎日自分で自分に言って涙を流していました。

しかし、家では私の居場所がありました。


私を待っている家族がいます。

祖父母は毎日私に

ごはんおいしい?
美味しいならよかったよ
作りがいがあるね

と言ってくれました。


学校は義務教育であります。

しかし、無理に学校で勉強しなくても大丈夫です。

みんな誰しも家族がいます。

あなたを必要としている人がいます。

その人との人生を第一に考えてみてください。


きっと何か自分が安心できる時間や居場所が見つかります。

急ぐ必要はありません。

ゆっくりかもしれないけれど
自分に合う人
自分が興味のあるもの
自分がやりたいこと
必ず長い人生で出会います。

私は自宅で勉強を頑張り
病気がちな祖父母のために
今は看護師として働いています。

やりがいを見つけたり
自分を必要としてくれる人は
学校以外でも
必ず見つかると私は思います。

自然に任せる時間も大切です。

いまいちど、お家でゆっくりとすごして
自分や家族との時間に感謝してみてください。

ペンネーム ayurap0

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