小幡和輝オフィシャルブログ

約10年の不登校を経験後、高校3年で起業。 もっと詳しい自己紹介は下の記事を! 社会のギモンに切り込んでいきます。

カテゴリ: ギモンに切り込む

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これまで小学校だけで4度の転校、
中学で1度。

私は学生時代に5度の転校歴があります。

中学の引っ越しの時、神戸から大阪へと
移った転校先はもともと生まれ育った環境に
もどることとなりました。

仲の良かった友達がいちばん多い地域でしたので
皆、自分のことを覚えてくれているかな?という

ワクワクと少しの不安を抱えながら
皆に会えることが楽しみで仕方ありませんでした。

転入当日、クラスの教室の窓では
頻繁に新入生見物しにくる生徒たち。

両親の離婚により、
このとき小学生の頃と名字がかわっていた為

「 だれだ?だれだ? 」

と、はじめは皆あたらしい人間がきたと
思っていたようでした。

そんな中「久しぶりー!」と
覚えていてくれた子達も多くて嬉しかった。

小学校時代に、いつも一緒に遊んで
仲の良かった友達(M)。

中学に入るとあまり学校に来ていないことを
聞いて、わたしは授業を終えると
友達(M)のお家へ毎日のように
遊びに行くようになりました。

以下、(M)とします。

きくと、Mは中学にあがると学校へは
ほとんど行かず不良グループに入っていました。

(あとから気づいたこと)

Mとは母親が同じシングルマザーで
2人共、おしゃれが好きなことなど
趣味が似ていて仲良くなりました。

放課後はほとんど
Mのおうちへ遊びにいく日を繰り返していたある日
彼女を独占しているとの理由で

不良グループの子達からわたしは、
いじめを受けるようになったのです。

掃除で使いおわった雑巾を
知らない女の子から投げつけられて、
びっくりしたことを覚えています。

テニス部へ入部しようとした時、
同じ子から「お前なんかくるな!」と
言われたり。

誰だか知らない子から敵扱いされていた
わたしですが、

“自分は悪くない”
と思っていたので学校へは行っていました。

いじめられても不登校には
ならなかったのです。

そんなわたしが不登校になったのは
仲良くなれたはずの別の友達が言った一言から。

「 あの子のこと嫌い

だってすぐ泣くんだもん。」

このことが、きっかけとなり
わたしの不登校がはじまります。

中学に入り、仲のよくなった友達( K )

Kは、名簿順でわたしのすぐ後ろの席に座っていた
とても美人で明るい子
家も近いことがあり、すぐにうちとけました。

休み時間にはいつも一緒にいて
仲が良かったはずなのに。

Kが自分のことを
実は嫌いだったなんて、、

彼女の裏切りが信じがたく
思春期のわたしの心に深い傷をつくった原因
となりました。

そんなこととは知らず、担任の先生は
わたしが不登校になり学校へ行かなくなると

クラスで一番仲の良かったKに、わたしが
学校へ来るようにと迎えをお願いしました。

このこともKにとっては愚痴のタネへと
かわっていたのです。

Kからの裏切りはとても傷ついたけれど

不登校になってからのわたしは
自分が本当にしたいことへと向き合う
きっかけとなったのです。

それは、ある日は本屋さんへ行って
雑誌を見ながらメイクの研究したり
お洋服の着方を勉強したり

放課後よく遊びに行っていたMも学校へは
行っていなかったので
2人で、どんどんおしゃれにはまりました。

歌うことも好きになり、歌も上達。

そんな日を繰り返していると、
わたしとMは学年で
一番おしゃれな存在となったのです!!

お話した通り、わたしの不登校体験談は
このときまでは明るい不登校でした。

ここからは反対で、
のちにはじめたダイエットが原因で
拒食症になり

摂食障害となって友達とも
いられず本当にひとりになったとき

とても辛い不登校(経験)と、
なってしまったのです。

明るい不登校とは正反対の
負の不登校も経験して思うことは

学校へは行かなくても、やりたいことがあり
目的のある不登校はむしろ不幸ではなく
幸せな時間の過ごし方だということ。

そのためにも自分を知ってくれる友達は
大切な存在だと感じます。

心の悩みを抱えてしまったら
毎日がつらいものになってしまう。

何が原因で学校へは行きたくないのか、
根本をさぐることが解決として重要です。

心の悩み、実は愛情不足が原因なことが
ほとんどです。

・抱きしめてもらうだけで
安心することができたり

・何を言っても否定されずに
最後まできいてもらえることだったり

・不安に思っていることなど
全てはきだせる場所があること

ただひとりになりたいというときはあっても
同じ空間で分かってもらえる環境をつくる
ことは、とても大切なのです。

わたしは、高校へは行かないつもりで
いましたが、高校を卒業しないと職が
ないことを教師と母親から強く言われ

全日制へ行くのは今の自分には難しいと
判断したので毎日行かなくてもいい
定時制を選択しました。

1週間のうち3日間だけ通う単位制の学校
自分の選択する授業ごとに
クラスもかわるので大学のような
高校生活でした。

学校がない日はほとんどの時間を
アルバイトをして過ごしていました。

学校では友達はできなかったけれど
アルバイト先でとても良い人たちに恵まれ
わたしはどんどん自分らしさを
とりもどせるようになりました。

働いてお金がたまると
もっと自分のしたいことや好きなことへ
没頭できるようになる。

あなたの生きやすいスタイルは
生きていれば、あるとき見つかります!

それまでは興味をもった分野には
とことん手をだしてみて、
そこからいかに自分自身と
向き合っていくかだと私は思います。

試して行く中で、このことで生きていきたい!
がみつかると思うから。

大きな夢を抱いてしまったとき、
叶えるまでに時間はかかるかもしれない。

けれど生まれ育った環境や金銭的な理由で
自分の夢を諦めないでほしいと思います。

わたし自身がそうだったように。

ヨーロッパ一周へひとりで旅に出た
経験や旅中、好きになったイギリスへは
年齢として遅かったけれど

2年間の節約生活後、28歳のとき渡英
半年間の留学生活を過ごしました。

乗馬がしてみたいと現地で馬に騎乗してみたり
新しい出逢いもたくさんありました。

現在のわたしは、30歳を超えても
まだまだ学びたりず学習の連続です!

いっぱい吸収して自分のものにできる日を
共に実現させちゃいましょう!^^

不登校中の過ごし方や
留学資金の貯め方など

わたしで答えれることはなんでも
相談に応じます!

ご質問があればDMください^^

Twitter : @hamac_deparadis
Face Book : Naomi Ohse

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不登校の体験談を引き続き募集しています。(当事者や保護者など)詳細はこちらの記事を。

関連記事→学校に行きたくない不登校の子どもに読んでほしい記事まとめ。

8月19日に不登校の当事者に向けたイベントを全国100ヶ所で同日開催しようとしています。
協力してくれる方はぜひこのグループまでリクエストください。
https://www.facebook.com/groups/784091841780825/

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小幡和輝 Kazuki Obata (@nagomiobata)
ブログの感想とかTwitterでいただけると嬉しいです。

LINE@はじめました!仕事の募集、僕からの相談、お知らせ、雑談など

NagomiShareFund & 地方創生会議 Founder/内閣府地域活性化伝道師

1994年、和歌山県生まれ。約10年間の不登校を経験。当時は1日のほとんどをゲームに費やし、トータルのプレイ時間は30000時間を超える。その後、定時制高校に入学。地域のために活動する同世代、社会人に影響を受け、高校3年で起業。様々なプロジェクトを立ち上げる。

2017年、47都道府県すべてから参加者を集めて、世界遺産の高野山で開催した「地方創生会議」がTwitterのトレンド1位を獲得。その後、クラウドファンディングと連携した1億円規模の地方創生ファンド「NagomiShareFund」を設立し、地方創生の新しい仕組みを構築中。GlobalShapers(ダボス会議が認定する世界の若手リーダー)に選出。
「高画質」 小幡和輝プロフィール 横長

メディア出演 NHK・フジテレビ・日本経済新聞・The Japan Times など



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41歳男性、既婚。舞台俳優、テーマパークアクターです。

1980年代前半、小学校1年から中学2年生まで、私は学校に行ったり行かなかったりしてました。

最初に行かなくなった理由は覚えてません。担任の先生は好きでしたし、友達もいました。苦手な子はいたけど、いじめられてはいなかった。

「ただ、合わなかったから」じゃないかなあ。そのぐらいだったら行けよと思う方もいらっしゃるかもしれませんが、私は合わない場所に6年間も9年間も通い続けることは地獄だと思います。大人になった今でも思います。

義務教育という同調圧力の中で行かないという選択ができた自分は偉いと思います。ちなみに「義務教育」という言葉の意味は、子供が学校に行く義務ではありません。そう思っていた方は是非、辞書で調べてみてください。

覚えているのは、よく同じ夢を見たことです。私は教室にいて、授業を受けています。突然自分は服を着ておらずパンツ一丁だと気がつきます。

クラス中の視線が突き刺さります。「まただ…。」無限に続くかのような苦痛の時間。そして目が覚める。学校での私の気持ちはそんな感じだったのでしょう。

私が学校に行かなくなってすぐ、母親が不登校(当時は登校拒否と呼ばれてました)について勉強してくれました。そして私に「学校休んでるからって悪いことしてるわけじゃない」と断言してくれたのは、私の人生にとってどれだけ大きなことだったか計り知れません。

今よりも不登校が珍しい当時、そんなことを言える親御さんがどれだけいたでしょう。

おかげで私は家に引きこもることはありませんでした。まず朝の登校時間に友達を校門まで送って行き、引き返してからご飯を食べて、良く一人で外にも遊びに行きました。サイクリング、おもちゃ屋巡り、古本屋巡り、などが定番コースです。

勉強に関しては、母は私に九九だけは厳しく覚えさせました。そのおかげか久しぶりに学校に行っても比較的、算数の授業はついていけました。

あとはNHK教育の番組を見ることと、学研の「学習」と「科学」(という雑誌が昔ありました)を読むのは楽しみでしたね。

それ以外では、当時はまさにファミコン全盛期。学校を休んでいる間、私はテレビゲームからたくさんのことを学びました。

感動的な物語に触れたり、頭を使ってパズルを解いたり、反射神経を磨いたり、歴史を学んだり、スポーツのルールを知り、有名選手の名前を覚えました。

攻略本を読むことで自習のやり方も身につきましたよ。RPGの影響でファンタジー物、三国志のゲームの影響で歴史物の本を読むのも好きになりました。

学校休んでた状態から、また登校する初日は本当に勇気のいる、しんどい日です。でも登校、不登校を繰り返した私は、そのしんどい日を何回も体験しました。

学校に通えている時期は、苦手な授業の時は家に帰ってきて、終わった頃に次の授業を受けに戻ったりもしました。

好きな授業だけでも登校できるなら、その方が休むよりいいと自分でも思ってたんですかね。いや、「それを許さないならまた休むぞ!」と教師を脅してたのでしょうか。親も先生方を説得してくれたのでしょう。

5年生の時は一回も授業に出席していないのですが、唯一参加したのは遠足の日でした。気まずくなかったのかなあ、と今の私も思います。

当時、不登校への罪悪感を持たずに過ごせたのは両親のおかげです。

もちろん外に出ることが怖くなった時もありましたが、そんな時、父は私を外食に連れて行ってくれるようになりました。

週に一度、2人でご飯を食べに行く。カウンターで揚げたての天ぷらを食べたのも、この時が初めてでした。なんだか一人前になった気がしました。今考えても素晴らしい社会勉強だったと思います。

私には4つ上の兄がいます。兄は勉強が得意で進学校の高校に通っていました。ちょっとおっかないけど私の憧れでもありました。

私も、進学校とは行かずとも、いい高校に入ろうと決めました。そして受験のために中3の2学期から完全に学校に戻ります。すぐ引退なのになぜか陸上部にも入りました。

高校受験では勉強に対して猛烈なやる気が出てましたね。下校後に毎日5時間の勉強、中1の範囲から5教科を各1時間ずつ復習して、結局兄の高校受験の時よりちょっと少ないくらいの点を取りました。

高校は志望校に受かりました。おさらいは中1の範囲からだったので、小学生で学習する内容は知らないまま。

でも大学受験は失敗しまして、一年間、受験浪人をすることになります。その時将来について考えたんです。

もし大学受かったとしてその後、せっかく不登校を体験した私が会社員になってどうする、と。そして映画「Shall We Dance?」を見た帰り道、自転車に乗りながら突然「あ、役者になろう」と思いつきました。

結局大学受験は第1志望には受からず、違う大学へ。理学部で陸上部、と演技に関係ないことを続けました。卒業したらずっと演技するわけですから、それまでは違うことをやろうかと。

卒業後、ある俳優養成所に入りました。そこでは、いろんな年齢の人が一緒に演技を習っていて、まさに勉強なんていつ始めてもいいんだなあ、と実感できました。

また、当時勤めていたアルバイト先では、出勤初日で来なくなる人達もいっぱいいて、子供が不登校するよりあっさり受け入れられているんです。不思議ですよね。その人達が不登校の子のように、あと何年も通い続けろと言われたらどう思うのでしょう。

少しずつテーマパークの仕事もするようになって、いろんな人と出会いました。皆さんの苦労を聞いて、だんだん自分が体験してきた辛さなんて普通じゃんと思えるようになっていったんです。

ところで、大人になって急に学校的な勉強をしたくなることもあるんですよね。私は38歳から英語の学習を始めました。

まずは中学1年生の教科書から始めて、2年足らずでニューヨークに留学をするまでになりました。ブロードウェイの舞台を22本観てきましたよ。ある役者さんは、あまりの気持ち悪さに2,000人の観客から悲鳴をあげられ、同時に爆笑をかっさらっていました。それを見て、こうなりたい!と思いました。

語学学校にも通いましたが、日本の学校と全然違います。子供の頃の私のように、苦手な授業の前に教室を去る生徒もいっぱいいました。

今の私は舞台に立ったり、テーマパークのショーに出演して毎日のようにお客さんの笑顔や笑い声に癒されてます。素晴らしい女性に出会って結婚もできちゃいました。

皆さんの中にも俳優養成所だったり、海外の学校がピッタリハマる人達もいるかもしれませんね。

不登校の皆さんは辛い時間を無限に感じてると思います。将来への不安で押しつぶされそうになってるかもしれません。

だからこそ、おうちが少しでも居心地のいい場所であればいいな、と思います。好きなことがあれば何でもしてください。

好きなことを夢中でできたらそれが1番の勉強です。漫画だってゲームだっていいんです。

日本の教育に収まらない皆さんの資質はワールドワイド!外には広い世界があって、皆さんにピッタリの新しい場所がきっとありますよー!!

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2017年、47都道府県すべてから参加者を集めて、世界遺産の高野山で開催した「地方創生会議」がTwitterのトレンド1位を獲得。その後、クラウドファンディングと連携した1億円規模の地方創生ファンド「NagomiShareFund」を設立し、地方創生の新しい仕組みを構築中。GlobalShapers(ダボス会議が認定する世界の若手リーダー)に選出。
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初めまして。

 

僕は今は27歳です。

 

今でこそ楽しい毎日を過ごせていますが昔は学校に行けなくなったり病気になったりいろいろありました。

 

でもそれも乗り越えて毎日元気に生活しています。

 

それも全部家族や周りの人の助けがあったから・・

 

今では周りの人に本当に感謝しています。

 

学校に行けなくなったキッカケ・・


 

もともと小学生の頃から周りの友達と仲良くなったり遠足とか運動会とかそういう集団で行動するのが苦手な子でした。

 

なので学校から帰ってきたら家でゲームか勉強をする毎日・・

 

小学校の中学年くらいから体にも異変が(今考えるとストレス)現れるようになりました。

 

憧れの中学生 好きな事は勉強!(西暦2,000年頃)


 

友達と遊んだり何処かへ出掛けたりしないぶん学校や塾の勉強にのめり込むようになりました。

 

それと同時に精神的なカラダの不調・・

 

(最初は頭痛や腹痛から)

 

次第に教室に通えなくなり家族や担任の先生と話し合って保健室登校を始めることになりました。

 

先生や家族はみんな優しい人ばかりで当時は感謝もしましたがその境遇に甘える自分も出てくるようになりました。

 

精神的な面を心配されて学校側と両親に心療内科を受診するように勧められました。

 

それ自体に特に抵抗が無かった私は母親と一緒に学校からの紹介で受診。

 

その病院に通院しながら学校へ通う毎日になりました。

 

特に深く悩むこともなく過ごしていたのですが自覚がないままに体への精神的な負担からか学校に通えなくなりました。

 

家族や親戚の人からすごく心配されてでも自分自身ではそこまで悩んだりせず伸び伸び遊んだりしながら過ごしていました。

 

一方体調的な面ではかなり大変な状況だったらしく、心療内科から紹介された病院へ転院。

 

その後入院する事になってしまいました。

 

私の性格上そんなこと殆ど気にせずゴロゴロしたり本を読んだり自由気ままな生活を送っていました。

 

もちろん入院中は学校へも通えず不登校扱い。

 

大きな病院だったので院内に学校がありそこで登校日数を取得して無事中学校は卒業することができました。

 

高校へ進学 想像していたよりかなり楽しい毎日が待っていました (西暦2,005年頃)


 

退院直後だったので毎日キチンと通えるか不安な私は家族と相談して単位制の高校に進学する運びとなりました。

 

学校へ行かなくなってからは勉強をするのもやめてしまい遊び呆けていました。

 

毎日友達と遊んで楽しい毎日・・

 

学年が上がるにつれて将来のことも考えるようになって真面目に頑張ってみよう!と奮起。

 

無事卒業後の勤め先も決まり実家を出て一人暮らしも始めて今に至ります。

 

悩むこともあるけど・・(現在2,018年)


 

この歳になっても他人から怒られたり悩んだり・・

 

色んなことがあります。

 

でも学生時代の「先の見えない真っ暗闇のトンネルの中を歩いている感覚」

 

あの頃と比べれば大抵のことは大したことありません。

 

悩んでいた頃は「楽しい毎日なんて本当に来るのだろうか・・」「今のままがずっと続くんじゃないかな・・」

 

ずっとそんなことばかり考えていました。

 

でも心配しないでください。

 

全然そんなことありませんから(^ ^)

 

むしろその逆であの頃があったぶん今の当たり前が幸せに感じれて「どんなことでも楽しめる!」

 

そんなポジティブな人間になれました。

 

何かあったら周りの相談しやすい誰かにすぐに話してみてください。

 

その相手が居ない時は少しだけ力を出してその相手を探してみてください。

 

困っている時は自分が動かないと誰も助けてくれない時もありました。

 

でも今はそんな辛かった時のことも忘れるくらい楽しい毎日を過ごすことができています(^ ^)

 

当時の不登校の体験談等もブログとSNSに書いています。

 

Blog りょんログ ポジティブログ

 

Twitter(@abcrz1)

読んでください!

 

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“「何が学校だ! 学校に行くくらいなら死んだ方がましだ!」
N君が言いました。わたしもそう思います。”


そんな書き出しで始まる手紙を、「うちのタマ知りませんか?」の便せんに書いて担任の先生に出したのが、小学5年生の3学期。

時は32年前です。

まだ20世紀で、1980年代で、昭和でした。

当時は不登校という言葉ではなく、「学校恐怖症」から「登校拒否」と言われるようになった頃。

わたしが住んでいたのは北海道日高地方の小さな町で、サラブレッドや乳牛がたくさんいる広々とした風景の中でした。

小学校も中学校も高校もそれぞれ町に一つずつ。

父親は教員。

そんな中で、初めての「学校に行けない子」になりました。

理由は、と聞かれても、今でもはっきりとはわかりません。

幼稚園の頃からそういうところが苦手で、行き渋ったり脱走した記憶があります。

転勤族の子なので小学2年で一度、転校しています。

小学校ではたまに行き渋る他は優等生で、作文が得意で、男子とよく遊び、学級委員では副委員長や書記をやるタイプでした。

あの手紙の冒頭に出てきたN君は架空の人物で、わたしが言いたいことをかわりに叫んでくれる役割で登場しました。

叫びたくても、優等生の自分のままでは叫べない。

だから、架空の人物の叫びに同調する形で、なぜ自分が行きたくないのかをつづりました。


学校ではとにかく、息苦しかった。

バブル時代で、ネアカがハッピー、ガリ勉はネクラと言われる頃。

先生の言うことに真面目にしたがって、周りの子のように「ほどほど」にすることができず、特に女子グループからは浮いていました。


高学年になると、もう男子グループに入って遊ぶこともできなくなり、休み時間が所在の無い時間になりました。

でも、学校へは行かなきゃ。


でも、お腹がいたい、頭が痛い。

そんなことを繰り返しているうちに、ささいな物音に過敏になったり、尖っているものが見ていられなくなりました。

高校の教員だった父は、そのような生徒と関わった経験がありました。

娘が同じような様子を見せ始めたことで、学校に行かないことをついに認めたのです。

それから長い長い登校拒否期間がありました。


3つ年下の弟も、その数カ月後から学校に行かなくなりました。


それで、小さな町で、いえ、日高管内の市町村で唯一の登校拒否児童になりました。


(これは、学校の先生が母親に言ったことなので、本当かどうかはわかりません)


学校に行かないきょうだいのわたしたちは、放課後の時間は普通に近所の子と遊んだりしていました。

学校がある日中は寝ているか、きょうだいだけで遊んでいました。

見かけはただ遊んでいるだけです。

しかし、
「学校に行けないのは心の病で一時療養しているだけだから、いつかは治療して戻らなきゃいけない」
と思っていました。

札幌市まで高速バスに乗って、大きな病院にカウンセリングを受けに通いました。

保健室登校、校長室登校、特別支援学級への通学もしました。

小学校を卒業して、エレベーターを昇るようにみんな同じ顔ぶれの中学校に入学。

制服も一式買ってもらって、最初の一カ月は頑張ったけれど、GWが明けたらもう一度登校する気力がおきませんでした。

中3になる時に親の転勤があり、札幌市へ引っ越し。


誰も自分のことを知らないリセットされた環境でなら頑張れるかも......。

今度は優等生キャラにならないようにおどけながら、女子グループに入ってなんとか過ごしました。

だけど、そのエネルギーはやはりGWまででした。

もう、どうしたらよいのか……。

そんな矢先、アイドル雑誌「明星(現Myojo)」に保坂展人さん(現世田谷区長)がライターとして連載していた「元気印レポート」で、札幌に初のフリースクールが誕生したことを知りました。

そこに書かれていた連絡先にドキドキしながら電話をかけて、見学に行き、そのフリースクールに通うことにしました。

わたしは初めて自分たちきょうだい以外の「学校に行けない子」たちと出会ったのです。

それはもう、無人島でサバイバル生活をしていた人が、他の人間と出会ったようなもの。


たくさんのおしゃべりをして、遊んで、話し合って、ケンカして、恋愛をしました。

自分たちの体験談を元に小さな劇を作り、上演をしたこともあります。

その中で、
「登校拒否は病気なんかじゃない! わたしが悪いのでも、お母さんの子育てが間違っていたのでもない!」
と主人公が叫ぶ場面。

つたないけれど迫真の演技で、観客席からたくさんの拍手と涙をいただきました。


その時の感動が元になり、わたしは演劇にのめりこみ、20歳で東京の劇団に入団しました。

初めて親元を離れて、いきなりの集団生活。

それは不安もありました。

しかし、時は流れて。

それから8年間は常勤スタッフとして、劇団の仕事で全国を回りました。

さらに結婚して7年間は、北海道の会社勤めと東京の劇団とのかけもち生活をしました。

今は青森県弘前市で夫とともに子育てをしつつ、仕事をしています。


劇団にもまだ在籍していて、時折メール対応やホームページの更新をしています。

途中、経済的にしんどい時期も、人間関係的にしんどい時期もありました。

でも、結局今も関わり続けられるのは、好きで選んだことだからです。

今はフリーランスの在宅ワーカーとして、学校に行きたくない小学生の息子と日中を過ごしています。

30年経って、学校もずいぶん変わりました。

今、息子が休んでいる小学校からは特に追い詰められることもありません。

地方都市でもフレンドシップルーム(適応指導教室)や通級指導教室の選択肢もあります。

それでも、まだ。

休み明けに子供が命を絶つニュースは、毎年目にします。

だから、いま、学校に行くのが辛い、行けないあなたに伝えたいのです。

学校は社会のほんの一部で、そこに合わなかったからといって人生が「詰み」になるわけではないことを。

社会に出たら、もっと多様な人がいて、もっと多様な生き方があることを。

あなたが生きていく先に、少しでも多くの「生きていてよかった!」と思える場面がありますように。

斎藤美佳子 @urabetti

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誤解を招くかも知れないので、最初に言って置きますが、「不登校」という病気がある、という話ではありません。
 
私が不登校になったのは、はるか昔、1970年代前半の頃です(当時は登校拒否と呼ばれていました)。
学年にすれば、小学校高学年〜中学生の頃になります。当時の私は、内向的で泣き虫で、そのくせ意地だけは強い、そんな子供でした。

その性格のせいで、泣かされたことはありましたが、「いじめ」と呼ぶような行為はされていません(泣かされた子とも、次の日には遊んでいました)。

勉強が嫌だったこともありませんでした。

それなのに学校へ行けなかった。そう、「行かなかった」のではなく、「行けなかった」のです。

前の日の夜は元気で、ランドセルに教科書を詰めたりしているのに、翌朝になると、どうしても学校へ行けない。自分にも、何故かは判らないけど、「行けなかった」のです。

両親、特に母親には叱られて、家から連れ出された時もありましたが、そこは意地っぱりであまのじゃくでしたから、「行け」と言われると、てこでも動かなくなり、結局休んでしまいました。

それ以外にも、憂鬱な気分に支配されて、落ち込んでばかり、といった事もありました。

児童相談所へも何回か通いましたが、簡単な心理テストをするぐらいで大したことはしてもらえませんでした。

その不登校は、中学3年生になると、原因不明のまま治ってしまい、高校では休みがちで補習を受けたりもしましたが、なんとか3年間通って無事卒業。

大学ではむしろ出席率トップクラス、就職もしました。が、その就職先が悪かった。時に「IT土方」と揶揄されることもある、IT系のソフトウェア会社だったのです。

月間50時間残業は当たり前、100時間も珍しくないといった厳しい環境でも、性格が真面目だった私はそれなりに仕事を続け、むしろ「面白い仕事」と思っていました。
が、厳しい仕事は次第に私の精神を蝕み、入社10年後くらいから、朝どうしても仕事に「行けない」で遅刻・半休をすることが目立ってきました。

そうして、名古屋へ長期出張させられていた時、あまりにもひどい状態になり、私はこの症状は「うつ」ではないか?と思い、精神科を受診し、「うつ病」と診断されました。

その後、なんとか上司に休職を許可して貰い、2年間休職した後、一旦復職しますが、やはり休む事が多く、結局退職することになりました。
それから10年以上経った今もうつ病ですが、治療のおかげでだいぶん症状は軽くなっています。

2年間の休職中、私がしばしば考えた事があります。小さい頃の「登校拒否」って、うつ病じゃなかったのか?と。

夜は元気なのに、翌朝になるとどうしてもやる気が出ず、遅刻したり半休したり、ついには欠勤してしまう。
そして激しい「抑うつ症状」。見事なくらい、小さい頃の症状と一致します。

もし、それが1970年代ではなく、2018年の今起こっていたなら、私は「うつ病」と診断されていたかもしれません。そして適切な治療を受けて、健康なままでいられたかも知れません。

しかし、1970年代当時は「うつ病」という病気の存在すら、殆ど知られていない状況でした。精神病院は、恐ろしい場所だと思われていたのです。

そんな状況ですから、「うつ病」と診断されたことはもちろん、それ以前に精神科や心療内科を受診したこともなかったのです。
ですから、「登校拒否」が「うつ病」だったかどうかの確実な証拠はありません。

しかし、私はそうだったと確信しています。

今現在、「不登校」に悩んでいる当事者や保護者の皆さん。その原因として、うつ病があるかも知れない、ということを念頭に置いて欲しいのです。

「うつ病」は病気です。基本的には、治療しないと治りません(うつ病の原因になっているストレスなどをなくすことも、治療の一部です)。

今現在、「うつ病」が原因で「不登校」になっているお子さんが、どのくらいいるかは知りません。

とにかく、1人でも多くのお子さんが、正しく「うつ病」と診断されて、適切な処置を受け、回復して「不登校状態」から抜け出せることを願い、この体験談を書かせていただきました。

自由浮遊社

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不登校の体験談を引き続き募集しています。(当事者や保護者など)詳細はこちらの記事を。

関連記事→学校に行きたくない不登校の子どもに読んでほしい記事まとめ。

8月19日に不登校の当事者に向けたイベントを全国100ヶ所で同日開催しようとしています。
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小幡和輝 Kazuki Obata (@nagomiobata)
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NagomiShareFund & 地方創生会議 Founder/内閣府地域活性化伝道師

1994年、和歌山県生まれ。約10年間の不登校を経験。当時は1日のほとんどをゲームに費やし、トータルのプレイ時間は30000時間を超える。その後、定時制高校に入学。地域のために活動する同世代、社会人に影響を受け、高校3年で起業。様々なプロジェクトを立ち上げる。

2017年、47都道府県すべてから参加者を集めて、世界遺産の高野山で開催した「地方創生会議」がTwitterのトレンド1位を獲得。その後、クラウドファンディングと連携した1億円規模の地方創生ファンド「NagomiShareFund」を設立し、地方創生の新しい仕組みを構築中。GlobalShapers(ダボス会議が認定する世界の若手リーダー)に選出。
「高画質」 小幡和輝プロフィール 横長

メディア出演 NHK・フジテレビ・日本経済新聞・The Japan Times など


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