新型コロナウイルスの影響で社会は激変し、新時代に突入した。
これからの子どもたちはどんな環境で、なにを学べばいいか、そして子どもたちが大人になる頃にはどんな社会になっていくだろうか。
本記事は小幡和輝が教育業界のプロフェッショナルをお招きしたトークイベントの書き起こしです。
2021年3月14日に開催された本イベントは申し込み1300名を超え、大盛況のうちに終了しました。
トーク②教育YouTuber 葉一
東京学芸大学を卒業後、営業職、塾講師を経て独立。2012年にYouTubeチャンネル「とある男が授業をしてみた」を開設。小学校3年生から高校3年生対象の授業動画や、学生の悩み相談にこたえる動画を投稿している。チャンネル登録者127万人、再生回数は3億回を超える。著書に『塾へ行かなくても成績が超アップ! 自宅学習の強化書』(フォレスト出版)などがある。
次のゲストは葉一さんです!
みなさんご存知の方も多いと思いますが、教育系YouTuberのはしりというか、ずっと昔から発信をされていて、チャンネル登録者も100万人以上。
非常に僕も楽しみにしていました。
では葉一さんをお招きしたいと思います。
小学校3年生から高校生までが学校で勉強するレベルの授業動画を配信するという活動をしてます。本日はよろしくお願いいたします。
実は、今日のゲスト高濱さんと茂木さんは結構昔から知っているんですけども。
葉一さんは今日ね、初めてなんですよね
僕は、葉一さん昔から注目していて、YouTubeのイメージをすごくポジティブに変えられた方だなと思っていて、特に子ども向けですね。
例えば、ヒカキンさんとかゲーム実況とかがもちろんだめではないんですけど、いろんなYouTubeがあったらいいなって思ってて、学校の勉強をわかりやすく解説する先生がYouTuberでいるっていうのは、YouTubeのいろんな可能性が広がるし、すごくいいなってずっと思っていました。ファンです。
目次
YouTubeを始めたきっかけ
結局、集団塾と個別だと、集団塾の方がちょっと安価になってて、集団塾なら通わせられるご家庭もあれば、そもそも塾自体の選択肢がないご家庭もある。で、多くの方がそれは仕方のないことだっておっしゃる。その気持ちもわかるんですけど、仕方がないで済ませていいのかってずっと思っていて。
働きながら、子どもたちにお金をもらわずに子どもたちに教育を届けられないかな。でも俺生活があるからお金ももらわなきゃだよなってことを考えて、とりあえず塾講師を辞めたんですよ。
なにも考えてない状態で、辞めて。
で、2012年なんですけど、ある日Youtubeをみてたら、Youtubeってアカウント作らなくても視聴できるんですよね。お金ももちろん発生しないし。あ、ここに授業動画投稿したら子供たち見れるじゃんって思って、その翌日から動画投稿をはじめて、気づいたら9年目になっていましたね。
さっきの高濱さんのお話にすごく絡むところがあって、学校って土台であると。セーフティーネットとしてあると。
でもそこだけじゃ足りなくて塾とかいろんなサービス受ける必要があるんだけども、学校じゃなくなって全部民間になるのはよしとはしないよねっていう話をしていて。
僕ら民間の教育事業をしているけど、僕らのものってお金が当然かかりますから、ここしか選択肢がないってなると家庭内の経済格差は思いっきり教育格差につながるんですよね。
なので、やっぱりお金に関係なく学びの環境をどう整えていくかっていうのがすごい大事だよねって話をさっきしていたんですよ。
もちろん葉一さんの動画っていうのは、すごいレベル高いし、しかもちゃんと葉一さんが稼げているのがいいですよね。ちゃんとそこで、葉一さん自身もちゃんとお金を稼いで、コンテンツを提供して続けて行ってやれるっていうのは、めちゃめちゃいい仕組みで。
自分の授業を受けて大人になった人たちが出てきて、なんかこう改めて自信になったり。塾とか学校の先生とかいろんな選択肢と比べた時に自分は負けてないなっていう感じですかね。
コンテンツの内容に関してはずっと自信があるんですよ実は。
自分の授業動画見てれば絶対成績をあげる自信があるので。そこは昔から。
塾講師時代に3年間やってたんですけど、結構営業気質の強い会社で、数字で判断、評価されるんですよ。
割と3年間トップ3に入り続けていたその自信もあったんで。
付加価値として、違う部分で自信になっているのは、不登校の生徒が多いんですよね。学校に行きたくてもいけない、でも勉強したいって子たち。
いまでこそチャンネルが認知が広がったので、それもありだよねって言われますけど。数年前、全然なかったときは、ここで勉強してる子とかめちゃめちゃマイナーなわけですよ。
だから子どもたち自身も「これでいいのかな」ってどっかで思ってたはずなんです。でもあの子たちが大きくなって、振り返った時に、たまに連絡とかくれるんです。
あのときは迷ってたけど、ここで努力したのは間違ってなかったっていうのがすごい文面から伝わってくる。そんなときに、やっててよかったなっていうのはすごく思いますよね。
今の学校についてどう思う?
ただ、学校に行かなければいけないとは微塵にも思っていなくて、ただの選択肢のひとつでいいよねっていう発想なので。
だから、子どもたちの中には学校サボってこれみてたらよくね?ってみたいな意見もあるけど、たぶん、それは違うぞって思っていますし。
でも学校に色々あって、行きたくないって思っている子どもたちが、だったら行かなくてもいいよって、ここで勉強は任せてくれと。そんな選択肢でいいんじゃないかなって思ってます。
学校でやっていることを分解した時に、これは学校じゃないとできないよねとか学校じゃなくてもできるとか色々あるなって思ってて。
学校はひとつの学ぶ手段というか選択肢なんで、その中で勉強に関しては葉一さんの YouTube見るなりすれば補える。一方でコミュニティに関しては、価値があるなと思うし。
やっぱり学校っていうのは手段であり選択肢であると僕は言い続けたい。
学校にとりあえず行っとけば、安心であるっていう人が多すぎるんですよ。
学校が全部をやってくれるとか。それはそもそも、学校に期待しすぎだし。学校に合わないとか不登校になったときに本人の劣等感とか、周りの偏見に繋がってしまうと思っていて。
もうちょっと学校っていう価値や役割をいい意味でちょっと下げたい。
無駄とか本当思っていないんです。学校のやっていることは素晴らしいことなんだけれども。ここじゃなくてもできるよね、でも学校が合っている人は学校に行ったらいいし、学校が好きな人とか友達に会いたいとかもちろんそれは行ったらいい。
そこをずっと言いたいんですよね。
「学校の価値をいい意味で下げる」っていい言葉ですね。
なんか、期待値が上がりすぎちゃってて、学校の先生に全て任せるみたいなちょっと間違った価値観を持っている親御さんもでてくるじゃないですか。
それが先生の学校の業務を潰しちゃうから、負荷がかかりすぎちゃって。で、先生がいきいきと仕事できないっていう負のスパイラルにハマっているなって思ってて。
学校に行く以外の選択肢があってもいい
行きたい子はもちろん行ったらいい。でも他に選択肢があってもいいよねってやっぱり思うんですよね。
クラスでいじめを受けている場合、そこで死にたくなるって子もいるわけじゃないですか。そこに死にたくなるような苦しみがあるのに行かないといけないは絶対に無いし、だったら違う手段でぜんぜんいいと思いますね。
例えば自殺が増えてしまうっていう話。よくコメンテーターさんが、「死ぬくらいなら逃げてもいいですよね」みたいな話をする。
たしかに間違ってはないんですけど、最後の手段みたいな感じで不登校を話すことに違和感があるんですよ。死ぬくらいって、そんな比べるレベルじゃないから。死ぬくらいなら逃げてもいいって、自殺の話と不登校っていうのをを絡めるのはちょっと違うのかなって。
もっと前段階でポジティブな不登校を僕は増やしたくて。学校に行かない、親に行きたくないって言った時になかなか最初親御さんって受け入れられない。
やっぱり行かなければいけない、無理矢理どうしても行かせてしまう。最初頑張るんだけど、やっぱり折れちゃって、親御さんが半分諦めるんです。
諦めて、もういいよって。でもここまで子どもを追い込んでしまっているいる状態だと、コミュニティにトラウマを持っていたりとか、自分で勉強するモチベーションがそもそもないとか、本人の自己肯定が下がっている状態の不登校っていうのが、すごい増えていて。ここに問題を感じているんですよ。そうなると回復までにかなり時間もエネルギーもかかっちゃうじゃないですか。
学校にいくっていうのは多少、多少じゃないか、かなりのエネルギー注ぐじゃないですか。その使わなくなったエネルギーをどこに注ぐかは絶対探してごらんって言うんですよ。
それをさっきのポジティブな不登校じゃないですけど、いきいきしている子は何かしら注いでるんですよね。自分の場所を見つけて。そうなって欲しいなって。
これだけインターネットが普及しているから、調べようと思ったらいくらでも調べられるんですよね。だからひとまず、足を止めずに調べることから行こうと。で、チャレンジして合わねえなっていっぱい捨てて行ってかまわないからって。
いろんなことにチャレンジして、いつか自分にこれかなって思うのが見つかるはずだから、それは足を止めずに行こうね、みたいな話をよくするんですけど。
学校に行かない代わりに他に頑張れることを見つけてほしい
学校に行かないってことは、別にサボってもいいぞっていう話じゃないぞと。みんな学校で頑張っているから、他で頑張っていこうぜって。そこは間違っちゃだめだよっていう話はずっと言ってて。
ただ、頑張るモチベーションがないところまで折られちゃっている子が多い。
そっから回復しないといけないからその分、周りから遅れて行っちゃうから、でもそれはよくないって思うんですよね。
もっと早い段階で他の選択肢がある、自分は他ののところで頑張ろうよって思える子が増えるといいなって思っていて、もうまさに待ったく同じですね。
僕はゲームだったんですけど。学校行かなくなったあとゲームにめちゃくちゃハマって。でも今思うのは、マジでゲームを本気でやってたなって。大会出るためにめちゃくちゃ練習してましたし。
当時は賞金とかなくて、賞品だったんですけど。賞品もらって、オークションで売って換金したりして、当時中2で、割とちゃんとお金稼ぎながらゲームやってて。
大会出るためにめちゃめちゃ毎日練習もしてて、これはよかったと思うんです。
暇つぶしで家でだらだらゲームするのを僕はよしとしないし、やるなら、本気でやれと。大会なり、プロゲーマーなり競技の世界をちゃんと見たうえで本気でやった方が絶対いいよって。
なにに使うかが大事ですよね。学校行かなかった時間をなんに使うか。
大人や周りのフォローが必要になってくるので、そこで子どもたちの話を聞くと、親御さんの存在が、味方になってくれていると、子どもたちのなかで味方だと思っている親御さんだと回復が早いか、そもそも折れない。親御さんの存在が大きいよなって。
不登校と親との関係性
うちのお父さんが学校の先生をやっていて、休むなんかふざけるなみたいな感じで。
もう3ヶ月ぐらい毎朝ずっと喧嘩して、親に無理矢理連れて行かれて。家出したり、逃げまくった3ヶ月だったんですけど。
逆に振り返ったら3ヶ月頑張ったなって。最後親が折れたというか勝手にしろっていう感じになったんです。なんとかまぁ勝ったというか、親が先に折れてたからよかったけど、僕の方が折れてたらどうなってたか分かんないなって正直。
しかも僕のところめちゃめちゃ田舎で人口1万人ぐらいなんで、僕が不登校とか行き渋っているのみんな知っているんです。どこに行っても誰か会っちゃうんです。
周りからすごい変な目で見られているのを感じたし、あの3ヶ月は本当辛くて。あれが、その自殺に繋がるのはすごい気持ちとして理解ができるんですよ。
だからやっぱり、もっとポジティブな不登校を増やしたいっていうのは強い思いなんです。
それでいいんだよっていう事例を子どもたちにいっぱい見せてあげたいですよね。俺たち大人が話すっているのも大事ですけど。ちょっと上のお兄さんお姉さんが同じようなルートをたどって、これだけ生き生きしているよって。そんな姿を子どもたちに見せられたら、「私もそうなれるかも」って想像つきやすいじゃないですか。そこは繋げていきたいなって思いますよね。
子どもとYouTubeのポジティブな関わり方
話は変わるのですが、コメントにYouTubeの話が多かったんで、YouTubeのはなしを。
子どもとYouTubeの関わり方。視聴時間を制限した方がいいのかとか、すごい悩んでいる親御さんが結構たくさんいらっしゃって。その辺どう思います?
YouTubeいっぱい見ている子ども多いと思うんですけども。やめた方がいいですか?
でも1回それをよしとしているのに、そっから出てた水をぎゅっと閉めるとそれは反抗するよねって話になるので。
結局ゲームも同じ話だと思うんですよ。同じような悩みがでてくるところで。時間を決めるのか、やることをやってれば無制限でいいのか。それは家庭ごとのルールでいいと思うんですけど。
自分がうちの我が子にやっているのは、飴と鞭じゃなくて、鞭と飴の順番ですね。もちろん鞭でたたきはしないんですけど、やることやったらなら別にご褒美はいいんじゃないっていう発想なんですよ。
ただ、やることやるっていう部分が曖昧にならないように気をつけようと思ってて。べつに本人が、YouTubeでだらだら見ちゃうかもしれない、でもそれが自分のなかでリフレッシュになっているのであれば、大人がそう見えなくても子どもにとって有益だし。
うちだったら1日漢字3個ずつ覚えようねとか、その3個がちゃんと覚えられるっていうタスクが達成したなら、もう好きにさせてあげてもいいんじゃないって思っているって感じですかね。
見るなら本気でみたらいいんじゃないかって。
自分でまさにYouTube撮ってみるとか、例えばヒカキンさんの動画を見て完コピできるような感じで本気で見るのは意味があると思うんですよね。
ただ、だらだら見るんだったらあんまり意味がない。息抜きだったらいいと思うんですけど。ずっと見続けているのはあんまりポジティブには僕は思っていない。
さっきのゲームの話に繋がるんですけど、やるんだったら本気で大会出るなりなにかしら目標を掲げてやった方が、学びに繋がるというか。
飴と鞭も僕もすごく思うし、まぁやることやったら息抜き入れるのはもちろんいいけど、もし1日中YouTubeしか見ないみたいな感じだったら、何かしら目標をセッティングした方がいいかなって思いますね。
読書感想文じゃないけど、ヒカキンさんの動画の傾向とかを見るっておもしろいですね。1年間のヒカキンさんの動画を見て、マイクラは何本だったとか、動画の時間は10分のが多かったとかそういうのって価値ある学びになると思っていて。そういう目的意識をもってYouTube見るのはいいなって思って。
そこまでできたらいいですよね。
Youtuberになりたい子どもを応援するべき?
普段からたくさんくると思いますがその辺どうですか?
ルールとしては、もし分野を選べるんだったら、できれば顔出しをしなくてもいいコンテンツができるなら、そっから試させたい。顔出しする部分のリスクは大きいので。ただまぁヒカキンさんみたいになりたいんだったら、別にいいよって。ただ、投稿前に絶対チェックしますね。
やるならちゃんと作ってくれって話なんですよ。ノリで作ったとかじゃなくて。ちゃんと作って、パパが面白いか、わかりやすいか、あるラインを超えていないんだったら、どうせ投稿してもウケないからってなるので、そういった見方はするかな。
一緒に作ってみるかもしれないですね。ここの効果音これでいいのとかって言いながら。っていう感じだと思いますね。
やっていく中で絶対いろんな学びがあるじゃないですか。そもそも10分の動画を撮るだけの話ができるすごい能力だと思うんですけど。
どういう企画を考えたらいいのかなっていうのもだし、動画編集をするとなったらパソコンスキルがすごく上がるかもしれないし。
YouTuberになるための本気の努力をやれば、それは絶対学びとしてすごい価値だし、ワンチャンめっちゃウケるかもしれない。YouTubeはすごい可能性あるから、もしかしたらお金稼げるかもしれない。
YouTuberなるのってほんと一握りだから、ほとんどの子どもが途中で挫折すると思うんです。でもそれは無駄ではなくて、ちゃんとそこには学びがあっただよねってみんなで思えたらいいんじゃないかなって。
実際になれなくてもよくて、部活みたいな感じでいいと思います。
野球部やっている子が全員プロ野球選手にはならないじゃないですか。野球がなにかしら、経験や学びに繋がってっていう人が多いと思うんですけど。YouTubeもそんな風に捉えたらいいんではないかなと。
「本気」と「やめ時」
本気ってキーワードにあるじゃないですか。本気っていろんなパターンの方がいるんですけど、本気で始めたら初志貫徹、最後までやれよって方いるじゃないですか。
でも自分どっちかっていうと、本気ではじめてみたんだけど。それが結構合わないのに気づいたら、どんどんやめちゃってもいいよって思っている人間なんですけど、それってどっちですか小幡さんは。
僕自身もやってみて違うなってことは多いので。そのときは本気でやろうと思ったけど、やってみたのはいいんだけど、なんか違うなって。
習い事とかを子どもたちも、いざ始めるときは本気で楽しそうだから、やりたいって燃えているじゃないですか。
でもいざやってみたら、ちょっと経つと子どもたちの感性が違ったなって思ってくる時あるじゃないですか。子どもがやめたいって言ってるんだけども、これをやめさせると、やめ癖がつくんではないか?っていう悩み相談って結構いただくんですよ。
でも自分は子どもたちがそこまで本気で走っていたら、やめてもいいと思っていて。それでやめてもやめ癖はつかないよなって。
嫌なことを頑張ってやり続けたところで、その時間がもったいないと僕は思ってしまう。
そのときは嫌でやめても、1年後とかだったら意外にできちゃったりとか、今のタイミングじゃないってこともあるじゃないですか。今はちょっと置いとこうかって。
僕はめっちゃ多いですね。やってみてちょっと違う、一旦やめとこうみたいな。YouTubeがまさにそんな感じなんです。
YouTube本気でやろうって思って、1年ちょっと前、僕毎日更新してたんですね。チャンネル登録1000人いくまでは毎日やるって決めて。
4ヶ月かかったんですけど、4ヶ月毎日更新したんです。超大変だったけど、1000人行きましたと。疲れちゃったんですよね。テーマ決めるのしんどいし、僕こうやって対談の方が好きなんですよ。一人で喋るのがあんま好きじゃないってことがわかって。向いていないって。そこでやめたけど、YouTubeやりたいなって思いはどっかにあって。
ここ最近改めてやろうと思って、あのときそういう失敗をしたから、今度は対談みたいな感じとか、ちょっと指向思考変えてコンテンツ作ろうと思って、今再挑戦しているような感じですね。
だから、そんな感じでみんなやめちゃったことあると思うけど、大人でもそうなんで、とりあえずやってみて合わなかったら直ぐやめていいし、もしかしたら途中で復活するかもしれないので。
あ、いい質問きてますね。動画の編集ソフトや機材でお金をかかるものを買ってあげるべきかとう質問なんですけど。
動画投稿を始めたい子どもへ準備してあげるべきものは?
本当に本気度合いが、トップYouTuberしかしかみていないとかだったら与えてもいいかもしれないですけど、まずはスマホで撮れるので、スマホである程度やってみて、編集ソフトが必須、ピンマイクが必須だったらでいいと思います。
最初から全部揃える必要はないかな。
小学生とかが始めて、続ける子って1000人にひとりとか、1万人にひとりとかだから。0.01%のために、結構高いんで機材。
宝の持ち腐れで腐っていくんだったら、ちょっと一回待ってもいいかもしれないですね。
ただ親御さんがそもそもできる、できないを知ってた方がいい。
Switchを使ったゲーム実況の配信をしようと思ったら、キャプチャーボードはいるじゃないですか。
それを親が、そんなんいらないでしょって言い出すと。いやいやいや、そもそもできないからって(笑)
ここは整理が必要で、機材はスマホで代用できたり、無料でできるものもあるけど、中にはそもそもないとできないものもあったりする。でもこれが親御さんがわからない場合があって。
親がこのPCでいいじゃないかって言っても、いや、動かないから!ってなるんですよね(笑)
そもそもできるできないはあるので、そこは親御さんがちゃんと整理しないといけない。
それは宝の持ち腐れになっちゃうから最低限でいいんだけど、そもそもできないこともあるので、そこは親も一緒に勉強してもいいんじゃないかなって思います。
本当に難しいですよね。
でも、解説系のYouTubeってあるじゃないですか。ゲーム実況で解説系のYouTubeやっている人、本当に尊敬ですね。一番すごいと思う。めちゃめちゃ難しいっすよね。
これからの子どもに学んで欲しいこと
この1年で社会の状況もすごい変わったと思うし、葉一さんから見て、こんなことやってたらいいなとか、親御さんがどういうサポートしてあげたりとか、そういうのを最後話してまとめたいと思います。
情報がこれだけあふれている時代じゃないですか。
嫌でも情報が入ってくるんですよ。たぶん欲しい情報じゃないことも入ってくるんで、どれが正しいのか判断する力が大事なのはみんなわかっているんです。
でも、マルとバツの世界じゃないんですよ。三角が絶対ある世界だから。自分にとってのマルを決めなきゃいけない。選択しなければならないと思ってて。
ただ、それは子どもたちには難しい。そこは人生長く生きていてある程度経験値がたくさんある大人がサポートするべき部分だと思っていて。
ここで間違っちゃいけないのが。親としてはバツを選ばせたくないから、「これがマルだから、これを選びなさい」ってなっちゃうんですよ。
でもそれだと子どもは育たないので、「この選択は、私はマルだと思う。」っていう議論をしていくなかで、子どもたちの選ぶ力を養っていきたい。
つけたすと、選ぶ力って捨てる力だと思ってて。情報をどんどん捨ていく。捨てるってちょっと怖いんですけど、捨てるからこそ、自分が身軽になって、次のフットワークの軽さに繋がっていくので。
そこを自分は動画を通してどうやって伝えていくかっていうのがテーマであるんですけど、子どもたちが自分らしく生きていくためには、必要な力なのかなって思ってますね。
たぶんYouTubeのネガティブなところってそこだと思います。テレビの出してくるコンテンツというのは基本的に厳選されているじゃないですか。めちゃめちゃ良質なコンテンツをずっと流しているから、まぁこればっか見てても基本おかしなことにはならない。
ただ、YouTubeは誰でもコンテンツを投稿できてしまうが故に、正直良質なコンテンツじゃないものも中にはあると思うんですよね。その判断は子どもはできないので。
YouTubeもテレビも一緒と思うんですけど。コンテンツの質の平均値はテレビの方が高いから。
ここは情報を選ぶ力というか、そこはある程度、親御さんがサポートしてあげないと、ちょっとよくない方向にいく可能性があるかなって思いました。
すごいなんか、こんなに共感する話が多いとは思わなかった。
とても楽しかったです。
ぜひ引き続きなにかご一緒できれば
今日葉一さんはじめて知った人もいると思うんですけど。ぜひYouTube見てください。
いろんな動画あげてて、めちゃめちゃわかりやすいんで。
葉一さんみたいな先生いたら、僕、勉強頑張ったと思うな。
ありがとうございました!
▼他の書き起こしはこちら▼
・高濱正伸×小幡和輝
・茂木健一郎×小幡和輝