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父と母「体調悪い?どうして学校行かないの?」思わず涙が溢れだしました。

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家庭環境の変化と親の転勤により、私は小学校を3度転校、中学校を1度転校という経験を持ちます。

そんな私は、中学入学を機に「不登校」になりました。

小学校でも転校生という物珍しさから、常に好奇の目にさらされていましたが、当時は先生の優しさに守られ大きな挫折はありませんでした。

しかし、環境や先生も大きく変わる中学校に入学した途端に小学校で築いた周りの友人の態度が冷たく見えてしまう。

グループ授業が多く“ひとり間違えると連帯責任”のような、勉強にさえも付いていけず足手まといになる私…。

憧れていた部活に入部しても、周りの同級生の部員とも打ち解けられず。

明確なひとつの理由というより、複合的に合わさった要因に苦しめられ、どんどん「楽しくない」「私なんかクラスにいらない」と思うようになりました。

中学入学から1ヶ月ほどが経った頃です。母に「学校休みたい」と打ち明けると「先生に電話しておくね」と最初は何も疑っていませんでした。

けれど、そんな日々が続いたある日、母は父に「あの子…しばらく学校休んでいるの」と話をしてしまい、その夜は家族会議が開かれました。

父や母からの「体調悪い?どうして学校行かないの?」の問いに、答える間もなく涙が溢れだしました。
「だって…友達いないし、楽しくない」私の声は震えていたと思います。

小学校からの友人の私への態度が変わったことも赤裸々に打ち明け、「そんなに辛いなら学校なんて行かなくていい」この言葉が母から出てきた時には本当に嬉しかったです。

とは言え、毎日のように担任の先生が自宅に訪問してくるようになり、ポストに投函された先生からの手紙には「学校に来てみませんか?」の文字が並べられる日々。

未来を想像しても真っ暗で、お買い物に行こうと家の外に出れば同じ中学の制服やジャージを着た生徒とすれ違う。

死、を意識したこともあります。

しかし、カッターを手にしても紐を手にしても死ぬ勇気さえも出ない、ただ生きているだけを繰返し、学年は中学3年になろうとしていました。

そして、転機が訪れたのです。親の仕事の関係で隣の中学校に転校することが決まりました。

前籍校から私の状況を聞いた、転校先の担任の先生をはじめ、ここではスクールカウンセラーの方も度々自宅に訪問してくるようになりました。

スクールカウンセラーの方も以前、心を病んだ経験があること。教室には登校できなくとも相談室登校の選択肢もあること。

希望するなら、相談室でも教科の先生の合間時間を使って勉強を受けられること。

忘れもしない、中学3年の6月。担任の先生とスクールカウンセラーの方の力を借り、皆が学ぶ教室とは少し離れた相談室に足を向けてみました。

まるごと1教室分の広さを貸し切り、半分はフローリング、もう半分は畳が敷かれ、ゆったりとした空間でした。

気分が良い日に登校、週1日、週3日登校…と気付けば意外と頑張れている自分がいました。

相談室では時間を有意義に使うため、編み物をしたり、千羽鶴を折ったり、相談室登校に慣れた頃には同級生が他愛のないお喋りをするために休み時間に顔を出してくれるようになりました。

中学3年の冬、私も進路を考えなければいけない時が来ました。このまま「中卒」で終わるのか、または夜間の定時制高校を受験するのか。

中学入学と同時に不登校になった私にとって、高校に入学するとしてもまた環境の変化に対応できず、同じことになるのではないか、という懸念が頭を過りました。

後ろ向きな考えばかりが浮かぶ中、頻繁に相談室に顔を出してくれていた同級生が「一緒に受験しよう!私も同じ高校受けるの」と心強い味方になってくれました。

それに後押しをされたように、両親に意思を告げると「嫌なら辞めていいから…」とこの時も優しく諭してくれました。

私が受験した定時制高校の試験問題は、小学~中学校程度の教科ごとの問題、「将来の夢」を題材とした作文の記述、面接でした。

普通なら中学校で学んでいるはずだった勉強が全て欠如している私には、作文と面接が自信がありクリアできる試験でした。

「一緒に受験しよう!」と背中を押してくれた同級生と合格発表を目にし、私は無事めでたく高校生になることができたのです。

定時制高校は夕方に登校し、夜9時に下校、年齢の幅も広く、学校に通う動機も様々な人たちばかりでした。

入学当初は、私はクラスの中でどう打ち解ければ良いのか、不安で不安で仕方がなかったです。

けれど、ここでもし私が弱さに負けて学校に来なくなっても、この状況だとますます私の存在は薄れていく…

“そんなの悔しい!!”
中学時代には混み上がることがなかった熱い感情が不思議と湧いてきたのです。

中学時代には学べなかった勉強を詰め込むかのように、私は必死に授業に追い付こうとしました。その結果、高校に入学して初めての中間テストの結果、クラス順位の上位に入ることができました。

元々、負けず嫌い気質の私は、もっと高みを目指して、期末テストでも順位を上げました。

1学期が終了した時に手にした通知表には、体育以外はオール5、欠席0早退0の数字が並び、私は1学期を皆勤で終えることができていました。

1年の冬には、担任の先生から生徒会役員に推挙され、2年…3年と進級する度に「真面目だね」「頭、良いよね」「困ったら頼るね」とクラスメートから声を掛けられることも年々増えました。

私のことを揶揄して掛けた言葉もあったのかもしれませんが、私はこういう言葉を1番欲していたのだろうと思います。

定時制高校で過ごす最後の4年目には、あまりに自分が学校に馴染み過ぎていて「学校って楽しいんだ!卒業したくない…」と学校のイメージが360度変わっていました。

前籍校の中学校は、先生も授業スタイルも同級生も私には合わなかっただけ…転校と高校入学を機に変わった私の考えを記しておきます。

学校に行かなくても死なない。家族やスクールカウンセラーの方、または病院の先生など頼れる大人が現れた時は思いっきり甘えてください。

私は自分ができる努力として「勉強」でクラスの中でのポジションを確立しましたが、とても簡単なことではもちろんありませんでした。

形は違えど、「私はこれを頑張る」「俺はこんな夢がある」と不登校だから、と夢を諦めることなく過ごしていれば、きっと活力になります。

今は先が真っ暗でも、活力は急に沸いてきます。

不登校に悩んでいる皆さん、私も不登校でした。同じです。味方です。不登校は「悪」ではありません。

なので、悲観しないでください。それだけを願っています。

私の不登校体験が誰かの心に触れることができたのなら幸いです。

ペンネーム:maiko

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僕自身も中学生までの10年間、不登校でした。しかし、その後は大学まで進学し、現在は会社の代表を務めています。

その経験を経て言えるのは「不登校は悪いことではない」ということ。行きたくない子を無理やり学校へ行かせるのも、良くありません。

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ABOUT ME
小幡和輝
約10年の不登校を経験後、高校3年で起業。#不登校は不幸じゃない 発起人 メディア出演 『NHK おはよう日本』『フジテレビ バイキング』ほか多数。 著書に『学校は行かなくてもいい』『ゲームは人生の役に立つ。』『子ども稼ぐ力』など 詳しいプロフィールはこちらの記事をご覧ください!