小幡和輝オフィシャルブログ

約10年の不登校を経験後、高校3年で起業。 もっと詳しい自己紹介は下の記事を! 社会のギモンに切り込んでいきます。

カテゴリ: 不登校

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私は現在30歳の女性です。私は中学三年生の時に三ヶ月ほど不登校になりました。

女子特有のグループから外されるいじめを3年間受け続け、とうとう友人と言える友人が誰一人としていなくなってしまったからです。

お弁当を一緒に食べる人、修学旅行で同じ部屋になってくれる人、移動教室を一緒にしてくれる人……様々な場面で私は孤独になりました。そんな私についたあだ名は”一匹オオカミ”でした。

メールが来たと思えば、私の悪口を箇条書きにした文章。

学校に行って目が会ったと思えば、「気持ち悪い」と言われる毎日。

「ちょっと来て」と言われ向かってみると、大勢の元友人たちから罵倒罵声のリンチ。

「明日が来なきゃ良いのに」と、思っていた毎日でしたがそんな私に”不登校”の選択肢をくれた大人たちがいました。

当時、私が相談したのは

担任の先生
保健室の先生
両親

▶︎担任の先生

当時は”不登校”がまだまだ認知されず、不登校=進学に不利という認識がありました。

だからこそ担任の先生もどうにか学校に通い続けて欲しいと願っていました。

特にいじめ問題は大人が仲裁に入ったところで状況は悪化する可能性の方が高いです。

そういうことも含めて担任の先生は”相談”には乗るけど、根本的な解決までは指導してくれなかったのです。

とはいえ、教室から抜け出すこと、遅刻・早退などをしても強く注意されないなど、担任の先生の配慮があってこそ実現できた行動は山ほどありました。

▶︎保健室の先生

「教室へ行きたくない」と感じた人が行く場所といえば保健室ですよね。私も何度かお世話になりました。

一人の大人として、さらに臨床心理学や教育心理学など様々な角度から意見を言ってくれる保健室の先生はどんな人にとっても大切な理解者になってくれます。

私の場合、特に話す元気もなかったので”ただここにいたい”という気持ちをちゃんと理解してくれた保健室の先生は、何も聞かずそっとしておいてくれました。

私が話せば耳を貸してくれる、話さなければそっとしておいてくれる、この環境に何度も救われました。

▶︎両親

私が”不登校”を決意できたのは、両親が理解してくれたからです。

両親へいじめを話せるようになったキッカケは、大好きなお弁当を残すようになったことに母が気付いてくれたことからでした。

当時いじめが過酷になっていた私は、どこにも属すことなく一人でお弁当を食べていました。

母が作ってくれたお弁当が大好きだったのに、その状況から食欲が落ちて一人前のお弁当を食べ切ることができませんでした。

これをキッカケに両親にいじめのことを赤裸々に話せたことで、「学校に行かなくても良いよ?」と言ってもらえるようになりました。

まとめ

私の場合、中学校から進学率の低い少し遠い私立高校の受験(推薦入試)を目指していました。

推薦入試では内申書が重要になる分、受験が早い時期に実施されるため、合格してしまえば自由の身でした。

せっかく三年間いじめに耐えて学校に通ったんだから……と推薦入試までは頑張って通い続けました。そして見事合格を果たし、そこから学校に通うのをやめました。

しかし30歳になって思うことは、当時もっと早くから不登校になっても良かったんじゃないか?と。

いじめや人間関係の揉め事は、本人たちが努力したからといって解決する問題ではありません。どうやって歩み寄っても、理解できないことは山ほどあります。

だからこそ、そこは割り切って、不登校を選んでも良いのではないでしょうか?

むしろ不登校を選んだ後の気持ちの方が大切です。

不登校を選んだ後って「みんな学校に行ってて偉いな」「私なんか不登校だからダメなんだ」と思うはずなんです。実際に私も思いました。

しかしそこで不貞腐れる必要はありません。

不登校を選んだのだから、次は何ができるかな?高校進学以外でもやれることはないだろうか?

こんな風に不登校を選んだことで前向きになれたら一番最高だと思います。

今の世の中は昔と違って、サラリーマンやOLになることだけが仕事ではありません。

好きな人と好きなことをして稼ぐことができる時代になりました。だからこそ不登校も歴としたステータスになります。

「不登校を選んだから**ができた!」
これをたくさん積み上げて、自分らしさを受け入れてもらえる世界に早く出会いましょう。

もぐた<ブログ/Webライター/サイト制作のマルチフリーランス>

同性愛者。LGBT/FtX(体は女性・心は無性別あるいは両性類)。
20代に3度就職をするも全てブラック企業というあり得ない引きから、”社会不適合者”と割り切りフリーランスの道へ。
LGBT、働き方、料理、アクティビティなど、多彩なジャンルで執筆活動中。

ブログ:尻に敷かれるLGBTの世界(http://www.lgbtjp.com
note:https://note.mu/mogupuchi_home
Twitter:@mogupuchi_home

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体験談を引き続き募集しています。詳細はこちらの記事を。


8月19日に不登校の当事者に向けたイベントを全国100ヶ所で同日開催しようとしています。
協力してくれる方はぜひこのグループまでリクエストください。
https://www.facebook.com/groups/784091841780825/

小幡和輝 Kazuki Obata (@nagomiobata)
ブログの感想とかTwitterでいただけると嬉しいです。

NagomiShareFund & 地方創生会議 Founder/内閣府地域活性化伝道師

1994年、和歌山県生まれ。約10年間の不登校を経験。当時は1日のほとんどをゲームに費やし、トータルのプレイ時間は30000時間を超える。その後、定時制高校に入学。地域のために活動する同世代、社会人に影響を受け、高校3年で起業。様々なプロジェクトを立ち上げる。

2017年、47都道府県すべてから参加者を集めて、世界遺産の高野山で開催した「地方創生会議」がTwitterのトレンド1位を獲得。その後、クラウドファンディングと連携した1億円規模の地方創生ファンド「NagomiShareFund」を設立し、地方創生の新しい仕組みを構築中。GlobalShapers(ダボス会議が認定する世界の若手リーダー)に選出。

小幡和輝 プロフィール 横長


メディア出演 NHK・フジテレビ・日本経済新聞・The Japan Times など

著書「不登校から高校生社長へ」


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私は不登校になったからこそ今の自分があります。


私は中1の冬から不登校になりました。
学校に行かなくなったきっかけを思い出すと
『あれ、なんでだったんだろう・・・』
と、いじめや人間関係のトラブルはありましたが
それが不登校の原因になったかは分かりません。
不登校になった理由の1つだったのかなとは思います。

学校に行けなくなった私を見て
親や周りの大人は私にこう言いました。

『サボるな』

『逃げるな』

『学校行きなよ』

『お母さんが悲しむ』

『お母さんの為に学校行こうよ』

誰1人、私の味方になっていてくれる人はいませんでした。
母は否定的なことしか言わず、母子家庭だったので私たち親子を知る大人は
私のことを考えず母の事を考えなさいが口癖でした。

『無理しなくていいんだよ』
たったその一言があれば救われたのかもしれません。


私は中1の3学期、中2の冬、中3の1年間を不登校で過ごしたので
高校進学の際に「学校に通えるのかな」という不安があったので
通信制高校に進学をしました。
入学してしばらく過ごすと
「中学の頃は学校に行けなくて友達と学校生活楽しめなかったし毎日学校に行ってみたい」
という思いが芽生え、周りが進級する中私は定時制高校に1年生から入学しました。
入学してすぐに人間関係のトラブルに巻き込まれ
学校に行けなくなり不登校になりました。
ですが、友達の支えがあり数カ月で学校に行けるようになりました。
この後も人間関係のトラブルで不登校になりました。
母から『あなたにも原因がある』と言われ
自分自身を責めることしかできず自傷行為までいきました。

この時私は、学校に居場所を失くし不登校になったのに
家にも居場所がないことを感じました。

友達の支えがあり、高2はほぼ休むことなく
通えていましたが人間不信で友達を信じることができず
友達を失くす前に自ら学校を辞める決断をしました。
高3になる時に退学しました。

家の居場所はなくしましたが
不登校になったり、高校を中退したことを
私は後悔していません。
なぜなら、人の心の痛みが分かるからです。
私自身、悩んで悩んで病気になったり
自分で自分を傷つけたり
引きこもりになったり
不登校の期間たくさんの経験をしました。
また、不登校の経験がなかったら
出会えないような人にたくさん出会えて
血の繋がりは全くないけど
家族みたいな人達にも出会えました。

今私は、NPO団体の学習スペース&居場所に通っています。
そこには様々なバックグラウンドを持っている子がたくさんいます。
しんどい思いをしながら学校に通ってる子も少なからずいて
私が相談受けたときには
『学校行かなくてもいいんだよ』
『学校行かなくても生きていける』
『無理してまで行く必要はないよ』
と伝えています。


今、学校に通えていなくて
自分を責めていたら
少しずつでいいから学校に行かなくてもいいんだよ
って自分を許してあげてください。


不登校でも1人の人間です。


丸川千夏 https://note.mu/chinatsu85

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1994年、和歌山県生まれ。約10年間の不登校を経験。当時は1日のほとんどをゲームに費やし、トータルのプレイ時間は30000時間を超える。その後、定時制高校に入学。地域のために活動する同世代、社会人に影響を受け、高校3年で起業。様々なプロジェクトを立ち上げる。

2017年、47都道府県すべてから参加者を集めて、世界遺産の高野山で開催した「地方創生会議」がTwitterのトレンド1位を獲得。その後、クラウドファンディングと連携した1億円規模の地方創生ファンド「NagomiShareFund」を設立し、地方創生の新しい仕組みを構築中。GlobalShapers(ダボス会議が認定する世界の若手リーダー)に選出。

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著書「不登校から高校生社長へ」


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P.N.カズマル

この文章を読んでいるということは少なからず今の現状に対して満足してるわけではないのかなと思います。

ですので、私の体験談を読んで何か少しでも人生がより良い方向に向かっていけたら非常に嬉しく思います。

しかしながら時間は有限ですので、あなたの貴重な時間をうばわないためにも結論から先に言います。

1.自分は中学校が大嫌いだった

2.世界に出たら思ったよりも楽に生きれた

3.一人で生きてくのは、ぶっちゃけシンドイから助け合う方が生きて生きやすい

です。

もし興味がありましたら下の文も読んでもらえると嬉しいです。

私は都内の大学に通う大学3年生のイタリアとアルゼンチンと日本のハーフです。(色々と混ざっててややこしいですね。

最近はビジネスコンテストを主催したり、海外からDJを招致してクラブイベントをやってみたり塾で講師をしたり、最近では個人事業を始めてWebデザインをやったりなど、

特にこれといって決まった軸があるわけでは無いですが、好きなことそのときやりたいと思ったことをして楽しく生きています。

ただ、私は過去に、ものの1年間の間に謹慎・自主退学(勧告はされていませんが)と学校処罰のフルコースを味わいました。

おちゃらけたようにいっていますが当時は、本当にやばかった。

それはまだ私が中学一年生の時でした。

そもそも、謹慎になった理由がカードを盗まれたということだけでした。

当時WCCFというゲーセンにあるサッカーゲームにどハマりしていて、それはもう時間がある限り四六時中戦術を考えていました。

カードにはそれぞれA~Jくらいまでまでの種族に分けられていてそれぞれ相性が良い悪い等があるわけです。

それでベストな11人を選び抜くために学校にもカードを持っていって授業中は先生がいるから見つかっちゃうので、ノートの上で関係性のチャートを作りました。

相手によってデッキも変えるため何種類ものパターンを出していました。

そして、先生の目が届かなくなる放課後にチームを組んでゲーセンに通っていた訳です。

授業中の先生の話なんて上の空。聞いてなんかいませんでした。

いわゆる不真面目な生徒ですね。

部活もやっていたには、やってたのですが勉強なんてしてないので成績が悪いため放課後1時間は補講。

その後から練習に参加できるも、全国大会に出るような強豪校だった為、校庭(正規の大きさのサッカーグラウンド)を15周走ってから練習に加えさせてもらえるという状況。

毎日のように補講に引っかかり、走り込んでコーチにブチギレられてからの練習に段々と嫌気がさしてしまって部活もいかずにストイックにゲーセンに駆け込んでました。

本当はサッカーがやりたくて中学受験して入れた学校で念願のサッカー部だったんですけど、サッカーをやるのが億劫になってました。

そして、そんな中ある日のこといつも通り学校にカードを持っていった私ですが、クラスメートにカードを盗まれてしまいました。

そしたら言ってもいないのに何故だか先生にバレてしまい、挙げ句の果てには盗んだ人はお咎めなし、私だけが2ヶ月間の謹慎をくらってしまいました。

まだ私は世の中の仕組みをよく理解できていなかったんでしょうね。

これが1月くらいの話。

中学校に入学してから1年もたたない頃でしたね。

まぁ、馬鹿馬鹿しくなって、もう何でも良いや大人たちで勝手にしてくれって思ってましたね。

そんな中、私の人生を大きく変えることが起こりました。

それが、3.11 東日本大震災です。

冒頭にも述べましたが私はハーフです。

だからなんだと言われそうですが。

親曰く、その当時日本にいるイタリア国籍を有するものはイタリアに一次的に帰国しろという命令がイタリア政府から発令されたらしいです。(真偽は定かではありませんが)

そうして昨日の今日といった感じで突然イタリアに行くことが決まりました。

この日本にある全てを捨てて海外に出るという行為が私の人生を大きく変えるものになったと思えます。

アホなので喜んでましたが、よくよく考えれば結構多変なことだと思います。

それで、イタリアに行くことが決まりすぐ行くことになりました。

本当は2週間経ったら日本に戻る予定だったのですが、気付いた時には中学校も辞めていて現地の学校に入り何だかんだで3年間くらいずっとイタリアで住んでました。

当時は別にイタリア語が喋れるわけでも無いし、唯一あるのはサッカーくらいだったけれどそれがコミュニケーションのきっかけになり、

あとは、なるようになれの精神で生きていたら。以外と人は困ってたら助けてくれるもので何とかなりました。

イタリアに行って生活する中で思ったことの究極点は結局のところ人は誰しも何かに悩んでいて何かしらに困っている、

だから助け合いの心が重要だということでした。

今この文章を読んでくれているあなたに幸せになってもらいたい。

だからこそ居場所は今いるところだけじゃない。

世界に目を向けてみてほしい。

ですので現状に絶望するのではなくて色んなものと繋がってみてほしいです。

根源をたどってみれば問題を起こすのも解決するのも関係するのは人間です。

みんなそれぞれ様々な悩みを抱えてて生きている可能性の方がずっと高いです

だからこそ私は人と関わり合って助け合う方が生きやすいと思います。

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この記事を読んでいる方は、不登校で悩んでいたり、学校になんとなく居心地の悪さを感じていたり、あるいは家族や友達がそういう悩みを抱えている方が多いかと思います。

私は中学1年生から2年生にかけて、計9か月以上、不登校生として過ごしていました。

直接の原因はクラスでのいじめでしたが、相談してもまともに取り合ってくれない先生や、学校に行くことを強要する両親に対して不信感を抱き、学校だけでなく家でも生きにくさを感じていました。

不登校になった後、引きこもった私に両親が提案してきたのが「転校」。

当時は学区の決まりが厳しかったのですが、市の職員さんが協力してくれたこともあり、私は2年生の夏から学区外の中学校に転校しました。

大人に対する不信感や学校そのものへの恐怖心から学校復帰には時間がかかりましたがその時に真摯にサポートしてくれたのが、担任の先生だったのです。

先生は、私の過去もすべて知ったうえで、「前の学校の話題は出さないほうがいい?」など一つひとつ聞いてくれて、かつ必要以上に踏み込んでくることはありませんでした。

学習面でも、間違えて笑われることを恐れる私に対して「授業は間違えるためにやる。そうして学んで、正しい方法を知ればいい」と声をかけてくれました。

あの先生のおかげで、私はまた学校に通えるようになり、その後5年以上の付き合いになる友人とも出会えました。

いじめを受けたり、不登校になったりすると、まるで自分の味方はどこにもいないように感じてしまうと思います。

実際私もそう思っていたし、今でも家族とは少し 気まずい関係です。

でも、転校という環境の変化、信頼したいと思える人との出会いをきっかけとして、少しずつトラウマを克服し、今ではフリースクール設立など、悩んでいる人の居場所作りをするまでになりました。

もちろん、学校が合う人もいます。
そこで良い出会いを見つける人もいます。

でも、もし今あなたが学校の中で悩んでいるのなら、外の世界に目を向けてみてください。

世の中には、どんな環境にも合う人はいないし、どんな環境合わない人だっていません。

学校が合わないことは、特別なことではないんです。

でも、一歩踏み出すのって、すごく怖いと思います。

世の中には悪い人もいるし、 悪意を向けてくるような場所だってあります。

でも、そうやって探し回った末に、かけがえのない相手と出会えるかもしれません。
その出会いから、今、近くにいる人たちとの付き合い方も変わるかもしれないのです。

学校という狭い世界だけで諦めてしまうのはもったいない。

ボランティア活動、アルバイト、どんな形でもかまいません。

さまざまな場所で、いろんな人と話をしてみましょう。

リアルの場でもいいし、ネットを利用してもいいと思います。

だって私は、学校には合わなかったけれど、今は信頼し合える友人がたくさんいるのだから。
その多くが、SNSなど学校の外で出会った人です。

世界は、自分が思ってるよりもずっと広いです。

この広い世界には、あなたの話が 聴きたいと思っている人や、あなたの力になりたいと思っている人がたくさんいます。

どんどん環境を変えて、自分にとって居心地が良いと思える場所を探してください。

あなたにそんな居場所が見つかることを、すてきな出会いがあることを、心より願っています。

@takaren_kktm
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こんにちは、お元気ですか。
僕は94年生まれ、現在23歳です。

小学校時代からなんとなく学校と反りが合わず、モヤモヤした違和感を抱いていたのですが、中学校頃に我慢の限界から不登校になり、独学で進もうと決めました。

今はいっぱしの社会人として普通に働き、元上司と共に起業した会社で伝統工芸品を世界に広める通販サイト、『A-Janaika Japan (ええじゃないかジャパン)』

https://www.a-janaika-japan.com/)を運営してます。

Twitterで小幡さんが体験談を募集しているのを見かけ、自分の体験を語ることで誰かが元気になったり、「こんな人がいるんだ!」という風に参考になれば良いな、と思い寄稿させて頂きました。

なんでこんなやり方をするの?僕が日本の教育システムに抱いた疑問。
小さい頃から、僕が他の子と違った点が二つあります。

それは、とにかく考えることが好きだった事と、海外の文化が大好きだった事です。

理屈っぽく、事あるごとに「なんで?なんで?」と聞き、理由が納得出来ないと、とことん突き詰める。そんな僕に学校の授業はあまり反りが合いませんでした。

基本的になんの説明もなしに「これは、こういうものなんです」と教えられ、それを否応無しに受け入れる事を求められたから。

僕の疑問にきちんと答えてくれる先生もいましたが、40人のクラスで僕だけに時間を割くわけにはいきません。

それに「何あいつは良い子ぶって質問ばっかしてるんだ」という冷やかしもあり、僕は徐々に自分の好奇心に蓋をして「普通」であろうと頑張るようになりました。

でも、そんな状態は息苦しかったです。

そして高学年になるにつれて、

「自由時間だけども席は立ってはいけない」

「教科書のページの先読みはNG」

「授業の中身は理解してるのにずっと席に座っていないといけない」

など、完全に先生が生徒を管理しやすくする為だけに作られた、生徒の都合はガン無視した意味不明な校則が増え、さらに息苦しさが増しました。

ひたすら疑問をもたず、先生・先輩に従い、頭を動かさずにルールに従えばいい。

そんな状態が死ぬほど嫌だった僕は学校を飛び出します。


学校は嫌い、だけど勉強は好き。そんな僕が選んだ独学という道

親に「学校に行きたくない」と相談し、理由も打ち明けました。

すると、「これはお前の人生だから、自分で責任を持つなら行かなくてもよろしい。ただ、将来仕事に困らないように勉強はしなさい。スキルを身につけなさい。

それを証明できる資格を取りなさい。そして勉強をしないのだったら学校に行って学歴をつけなさい」と言われました。

今思っても自分の息子に伝える言葉としては勇気あるメッセージだと思います。普通にまっとうな大学まで行って就職して、、と願うのが普通ですからね。そんな訳で、理解がある両親にはとても感謝しています。

親の言葉になるほど、と納得出来たので、僕はひたすら自宅で勉強に励みました。

とにかく嫌いだった学校に戻りたくないから、という心と、新しい知識を自分のペースでどんどん学べる!というワクワク感で図書館に通い、いろんな本を読み漁り、知識を深めて行きました。

資格もいくつか取りました。

英検は5級から初めて2級まで、半年ごとに受けていたので、2年半で6年分、高校卒業程度までの勉強を終わらせてしまった事になります。

調子に乗ってフランス語検定2級、TOEICも3回トライした後にほぼ満点の985点を取得しました。

もちろん、簡単ではありませんでしたが、学校に行っていたら決してできないスキルを身につけられたと思います。

就職は狭き門。でも入ってしまえば広い世界が広がっていた。

今後の活躍を心よりお祈り申し上げます。

お祈りメールが来たと言って嘆く就活生はたくさんいます。

ところが、僕のように学歴も何もない状態だと、そもそもの書類審査でさえ通らないので、応募はするけどもお祈りメールさえ貰えないという状況からの就活スタートでした。

でも、独学をする上で身につけたスキルは絶対に役に立つ、会社に入れば評価してもらえる、職歴さえついてしまえば就職はできる!と信じていたので「学歴なし・職歴なし・バイト歴1年」という状態から正社員を目指すべく、まずは派遣から始めて正社員の道を探しました。

7社ぐらいの転職エージェントに登録して、いくつか面接も行きましたが「学歴なし・経験なし」が相当な足かせになりました。

TOEICの点数や英語の話になると担当者も明るい顔になるのですが、「でも学校行かれてないんですよね、、」「英語はできるけど翻訳の実務経験はないんですよね、、」と言われ、正直にYESと答えるしかなかったので一向に面接まで至らず、、という状況が1ヶ月ほど続きました。

それでも諦めずに応募し続けていたら、ある担当者の方が「そういえば加納さんに合いそうな会社がありますよ!」と言ってご紹介頂いたのが、現在も続けている伝統工芸品の越境ECサイトでの翻訳の仕事でした。

無事面接も受かり、必死で馴染もうと頑張ったのを評価頂いて、正社員にもして頂き、、と拾って頂き、とても当時の部長さん(今の社長)には感謝してますし、広い心で採用をしていた当時の人事部の部長さんにもとても感謝してます。

仕事に入ってからも色々苦労しました。こちらの記事にまとめてますのでよかったらどうぞ。http://monsieurk.fun/2018/03/18/6-worst-things-about-self-study


これまで僕が大事にして来たこと

・自分の中の違和感を大事にすること。無理して周りに合わせない
・自分の状況をしっかり把握、分析すること
・分析を元に将来必要なこと、社会人として必要になることを考える
・長所を伸ばせる環境をしっかり作ること
・ひたすら頑張る。何かに熱中してみる
・自分の得意なこと「自分はこんな人」ってメッセージを発信する

特に最後の2つ、「頑張ること」と「周りに発信する」はとても大事にしています。社会人として行きていく上で、周りからの理解、評価はとても大事になって来ます。

23歳、僕はまだまだこれからですが、体験談が少しでもお役に立てれば嬉しいです。よくTwitterをチェックしているので、もしコンタクトしたい方いらっしゃればどうぞ!
@monsieurK777


投稿者プロフィール

Hiro Kano
株式会社AJJ ゼネラル·マネジャー
学校へは行かず、独学で英語(TOEIC 985点)、フランス語(仏検2級)、IT関連などの幅広い分野を学ぶ。
バイトなどで社会経験を積んだ後、伝統工芸品の越境ECプロジェクト「A-Janaika Japan(ええじゃないかジャパン)」に参加、翌年には上司と共にプロジェクトを引き継ぎ、株式会社AJJを設立。
「もっと日本の深い文化に触れたい」という海外からの想いと「丹精込めた作品をより多くの人に届けたい」という職人さんの想いを英語とITの力で繋げるべく、日々奮闘中。
インターネットと海外ドラマ、チーズが大好き。

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